2016年02月17日

1月 雪の鶴ヶ城と麟閣に心惹かれて


雪上に聳える赤瓦の大天守、
不屈の名城、鶴ヶ城。

2016年1月某日

0101鶴ヶ城西出丸梅坂s.jpg8169鶴ヶ城全景晴れs.jpg0309鶴ヶ城ガイドs.jpg0413鶴ヶ城ガイドスタートs.jpg0605鶴ヶ城鐘撞堂s.jpg0807鶴ヶ城鐘撞堂s.jpg

 東北屈指の豪雪地帯として知られる会津。会津の美しさの一端は、雪景色にあると言ってもいいだろう。凍てつく冬の寒さに凛と佇む城の姿に惹かれ、年明けも落ち着いた1月下旬、再び会津へ。例年、この季節なら30cmはあるという雪が今年は驚くほど少ない。
 別名「若松城」とも呼ばれ、会津のシンボルとして君臨する「鶴ヶ城」は、市街地の中心部にある。2011年、幕末期と同じ赤瓦に吹き替えられた天下の名城は、清澄な雪上に白亜の雄姿で映えていた。
 「よろしければご案内しますか?」大天守を仰ぐ私たちの姿を見たガイドの杉浦さんに、声を掛けられる。城内にはボランティアガイドが常駐し、客の要望に応じて30分程度、無料で案内してくれるという。伺えばちょうど鐘撞き体験ができる時刻らしい(!)。誘われるまま、まずは西出丸にある鐘撞堂へ。
 今から約150年前に起きた戊辰戦争の籠城戦でも、ひるむことなく正確な時を告げ続けた鐘の音は、城外で戦う味方兵の士気を大いに鼓舞した。これを煩わしく思った新政府軍がここに集中砲火し、時を報らせる時守(ときもり)が次々と倒れても、別の者がこれに続き、最期の開城まで鐘の音が止むことはなかったという。まさに、会津人の意地と誇りを感じる逸話のひとつだ。現在は、ボランティアガイドの手によって正午と午後3時に鐘が打ち鳴らされ、観光客も体験できる。
 鐘の撞き方は、正午を“午の刻九つ”と呼んだ江戸流。捨て鐘と呼ばれる3回の合図のあと、本打の9回を撞く。吊鐘は延亨4(1747)年、4代容貞公の時に鋳造されたものだ。辺りの空気を震わせてゴォンと鳴り響く150年前と同じ音色の、深く長いその余韻に手を合わせる。

1014鶴ヶ城大手門大石s.jpg1115鶴ヶ城修学旅行s.jpg1216鶴ヶ城武者走りハート石s.jpg
1317鶴ヶ城笠間稲荷s.jpg1418鶴ヶ城笠間稲荷前の早梅s.jpg1519鶴ヶ城鉄門s.jpg
1923鶴ヶ城鉄門横ハート石2s.jpg2125鶴ヶ城土井晩翠碑s.jpg2226鶴ヶ城月見櫓よりs.jpg2328鶴ヶ城廊下橋s.jpg

出会いと学びの大人の冬旅。
城址巡りの知的愉しみ。

 北出丸から本丸へと通じる椿坂付近の石垣には、城内で最大の高さ2.6m、幅2.8m、推定7.5tの「鏡石」がある。別名“遊女石”と呼ばれるこの巨石は、そのあまりの重さに遊女を乗せ、歌や踊りに励まされながら運んだものだという。
 「最近、ああいう若い方に人気の“ハート石”もあるんですよ」城の見学に来ていた学生達を眺めながら、杉浦さんが教えてくれる。なるほど、武者走りのある石垣には確かにハート型の石の姿が見える(笑)。伺えば、城内にはもうひとつこんな形の石があるらしく、2つ見つければ良縁が叶うパワースポットとして、いま話題らしい(笑)。
 樹齢100年を超えるソメイヨシノの古木が見事な城内は、市内随一の花見スポットしても知られ、春には桜越しに美しい城の姿が仰げる。笠間稲荷神社が鎮座する本丸の南広場には、早々と春へ想いを寄せる白梅が雪に埋もれてひっそりと咲いていた。
 せっかくだから、という連れの希望で杉浦さんに案内され、足首まで埋まる雪を踏みしめ2つ目の“ハート石”を探索。“鉄門 (くろがねもん)”と呼ばれる表門近くで見つけた石は、何とも小ぶりでまさに夫婦石のようだった(笑)。
 本丸東南には、土井晩翠が鶴ヶ城址を詩材に作詞した直筆の「荒城の月碑」もある。近くの「月見櫓」から望む眺めは杉浦さん曰く、城が最も立派に見える穴場ポイントとのこと。桜の季節には、茶室「麟閣」を手前に天守がちょうど花に包まれた姿になる。城の見学にはぜひ、知識豊富なガイドさんの同行をおすすめしたい。案内された石垣沿いからは遠くに磐梯山、眼下に二の丸に通じる朱塗りの「廊下橋」や、高さ20mの見事な「高石垣」も一望。底冷えする寒さの中、長時間快くお付き合いくださった杉浦さんに感謝を申し上げ、ここからは分かれて天守内部の見学へと向かう。

4850鶴ヶ城売店s.jpg2530鶴ヶ城館内s.jpg2631鶴ヶ城館内白虎隊士の姿絵s.jpg2833鶴ヶ城白虎隊官軍攻の図s.jpg3034鶴ヶ城戦火の写真s.jpg
3136鶴ヶ城館内s.jpg3338鶴ヶ城天守閣より東山s.jpg3439鶴ヶ城天守閣より飯盛山s.jpg

栄華と波乱の歴史に触れる、
天守閣博物館。

 「鶴ヶ城」は今から約630年程前、葦名直盛がこの地に築いた“東黒川館”を前身とする東北の名城だ。戊辰戦争後、城は明治7(1874)年に取り壊されたものの、昭和40(1965)年に再建され、現在、内部は郷土博物館となっている。
 まずは入場料(大人510円/鶴ヶ城・茶室麟閣共通券)を購入。展示は「走長屋(はしりながや)」と呼ばれる建物内のギャラリーショップを中心に、北側の大天守ゾーンと南側の「南走長屋(みなみはしりながや)」ゾーンの2つに分かれている。5層となった天守閣内は、フロア毎に設けられたテーマに沿い、武具や甲冑、会津の伝統工芸品や戊辰戦争にまつわるさまざまな資料を展示。東北の要衝として、城主が何度も変わった鶴ヶ城はゆかりの武将も多く、歴史ファン垂涎の文化財も豊富だ。天守台内部には塩蔵も再現され、“野面積み(のづらづみ)”と呼ばれる約400年前の石垣が、天守閣唯一の遺構として当時の姿を留めていた。
 最上階の展望台からは会津磐梯山をはじめ、白虎隊が自刃した飯盛山(詳細はこちらのブログを参照)、近藤勇の墓がある天寧寺(詳細はこちらのブログを参照)など、激動の歴史舞台となった会津市街が360度見渡せる。新政府軍が砲撃の陣を置いた小田山までは、ここから直線距離にしてわずか2km。激戦時にはあの山腹から一日5,000発もの砲弾がこの天守めがけて降り注いだのだ。つい今しがた目にした、戦火で荒廃した城の写真が脳裏をよぎる。傷つきながら、最期まで崩れることのなかったその姿は、会津人の気高い魂そのものだ。

3540鶴ヶ城八重衣装s.jpg3641鶴ヶ城復元南走長屋入口s.jpg3844鶴ヶ城復元干飯櫓s.jpg
3945鶴ヶ城鉄砲刀イミテs.jpg4046鶴ヶ城鉄砲構えるs.jpg4148鶴ヶ城石落しs.jpg3748鶴ヶ城南走長屋s.jpg
8375会津葵s.jpg8476会津葵s.jpg8880会津葵s.jpg

威風を放つ復元遺構に
哀悼の想いを募らせながら。

 平成13(2001)年に江戸時代と同じ工法で復元された「干飯櫓(ほしいいやぐら)」と「南走長屋」は、建物そのものが見どころのため、内部は当時の使われ方をイメージした簡素な展示となっている。長屋の入口には、先のNHK大河ドラマ“八重の桜”に出演した俳優陣の衣装も飾られ、連れも興味津々(笑)。鶴ヶ城で最大の二重櫓だという「干飯櫓」内には、敵を迎え撃つための“石落し”を再現した等身大の人形や、実際に手にとれる銃や刀のレプリカもある。ズシリと冷たいその感触に、屈辱的な戦いに男も女もなく決死の覚悟で挑んだ会津藩民の、やり場のない胸中が偲ばれる。かの司馬遼太郎も名著『街道をゆく』の中で、「歴史のなかで都市ひとつがこんな目に遭ったのは会津若松しかない」と語るほど、この地には、あまりにも多くの尊い血が流れた。
 気付けば外は夕暮れ。鶴ヶ城見学は、いくら時間があっても足りない。連れと相談のうえ、茶室「麟閣」見学は明日にまわし、今日は宿へ向かうことにした。
 途中、立ち寄った「会津葵」は戦国時代、会津領主を務めたキリシタン大名、蒲生氏郷がもたらした南蛮文化ゆかりの菓子舗だ。東洋と西洋の文化が溶け合った素朴にして上品な創作菓子は、目をひく蔵造りの建物とともに銘菓として愛されている。私達は純和三盆に会津産の白蕎麦粉を使った、亀甲鶴の打ち菓子(980円)を購入。丁寧な仕事を感じる美しい包装も、今に受け継がれた会津の美意識だ。

5000瀧の湯手前滝s.jpg5300瀧の湯客室雪s.jpg5400瀧の湯まぼろしの湯s.jpg5500瀧の湯おはら亭s.jpg5700夕食s.jpg5800夕食ラーメン御飯s.jpg6200伏見の湯庄助桶風呂s.jpg
6300おはら亭廊下s.jpg6400朝食s.jpg6500天寧温泉s.jpg

至福の温もりと眺めが待つ、
雪見露天の冬宿遊び。

 到着した瀧の湯のロビーから見える雪景色も、今年はかなりの薄化粧のようだ。案内された客室でひと息ついたあとは、早速、貸切露天風呂「幻の湯」へ。
 宿にある貸切風呂の中でも最も河原に近い風呂は、せせらぎとマイナスイオンに包まれた爽快な湯心地。「今夜、少し降るといいけど」と、鈍色の空を見上げ一縷の望みを連れと話しつつ、今年初めての雪見露天の贅沢に遊ぶ。
 今夜の食事は畳にテーブルスタイルの和モダンな「おはら亭」。中居さんのすすめで注文した瀧の湯オリジナルの限定酒「庄助古酒」は、老舗の花春酒造が醸した芳醇な含みが食事に合う極上品。白ワインのような黄金色と、純米大吟醸ならではの澄み切ったフルーティな香りは、女性も飲みやすい美酒だ。ひとつひとつ卓上で炊き上げる「会津拉麺釜飯」は、会津産コシヒカリと名物のラーメンを掛け合わせた“会津ブランド認定商品(http://aizubrand.shop-pro.jp/)”のひとつ。醤油のお焦げも香ばしい、どこか懐かしい味わいだった。
 夕食後は、再びゆっくりと「伏見の湯」で温泉三昧。愉快なほど朦々と立ち込める湯気の中、「庄助桶風呂」にとっぷり浸かり、荒城の城の感慨に想いを馳せる。
 翌朝、朝食へ向かう廊下から、さいかちの大木越しに竹林を望めば、幸か不幸か昨夜の雪もさらにきれいに溶けた様子(笑)。気を取り直し、今日もまた瀧の湯名物のつきたて餅料理に力を得て、昨日、杉浦さんから伺った茶室「麟閣」の興味深い話に花を咲かせる。
 チェックアウト前に連れはもうひと風呂、貸切大浴場の「天寧温泉」で雪見を満喫。贅沢な広さを誇る風呂は朝は女性専用で楽しめる。小さな子供の玩具やベビーベッドもある「天寧温泉」は、大人数での貸切や家族連れにも人気の浴場だ。

4951鶴ヶ城麟閣s.jpg7156鶴ヶ城麟閣茶室s.jpg6954鶴ヶ城麟閣左門の字s.jpg
7260鶴ヶ城麟閣茶室s.jpg7562鶴ヶ城麟閣鎖の間s.jpg7459鶴ヶ城麟閣茶室s.jpg8068鶴ヶ城稲荷よりs.jpg
7866鶴ヶ城稲荷s.jpg7765鶴ヶ城稲荷s.jpg7967鶴ヶ城稲荷s.jpg8970南京s.jpg

利を求めず、義に生きる。
会津魂が護った茶道の礎。

 目指す茶室「麟閣(りんかく)」は、雪吊りの佇まいも美しい本丸御殿跡に隣接した場所にある。ここは天正11(1591)年、秀吉の逆鱗に触れ切腹を命じられた千利休の子、小庵が時の会津領主、蒲生氏郷に匿われ、その恩義に報いるために造ったと伝わる。氏郷は“利休七哲(高弟七人)”の筆頭に挙げられる名茶人でもあった。その後、秀吉の赦しを得た小庵は京都で千家を再興し、その一子、宗旦の3人の孫によって表、裏、武者小路のいわゆる“三千家”が興され、現在に至る茶道の基が築かれた。つまり、日本が世界に誇る“茶道”はまさにここから生まれたのだ。初めて知るその事実に、驚きと興奮は隠せない(笑)。
 明治元(1868)年、鶴ヶ城が取り壊される際、戦火に傷んだこの歴史的茶室が失われることを惜しんだ会津の茶人、森川善兵衛の尽力で「麟閣」は善兵衛の自邸に移築・保存され、平成2(1990)年、再び元の場所へと戻された。ちなみに、幕末の会津の明暗を分けた藩是「家訓15カ条」を定めた保科正之も“大名三茶人”に数えられる文化人。“八重の桜”の主人公、山本八重の祖先、山本道珍はこの正之に仕えた藩の茶道頭で、その影響からか、晩年の八重は“宗竹”の名で茶の世界に生きた。江戸時代以前、男性のものであった茶の道は現在8割を女性が占めるが、それはこの八重が女性たちに茶の湯を広めたことが大きいとも言われている。
 創建当時の佇まいを残す茶室は茅葺き屋根の草庵風。雪景色の中、開け放たれた障子から冬の長い光が射し込む台目席の奥には、少庵が自ら削ったと伝わる赤松の床柱も見える。このわずか三畳の慎ましい空間に、会津藩が後世の日本文化に遺した偉大な功績が宿っている。杉浦さんの話によれば「麟閣」内に点在する3つの“扁額(門戸や室内に掲げられた額)”は、表千家、裏千家、武者小路家のそれぞれの家元の自筆で、千小庵を庇護した会津藩へ寄せた感謝の証だという。敷地内には、格式あるそんな茶室の敷居の高さを感じさせない、まさに会津らしいもてなしで、気軽にお点前を楽しめる席も設けられている(別途500円)。
 北出丸へ向かう道すがらの「鶴ヶ城稲荷神社」には、御伽話に出てくるような、雪よけの編み笠やほっかむりを被った愛らしい狛狐の姿も。「麟閣」同様、昔も今も変わらぬ会津の人々の手厚いそのやさしさに心が和む。
 美しい細雪が舞い始めた午後。歩き回って冷えた体を抱え、城の程近く「南京飯店」で少し遅めの昼食タイム。アツアツの「シーフードタンメン」(730円)と「南京めん」(700円)で暖をとる。
 思えば満天下に聞こえる名城、鶴ヶ城の悲劇は、この地に繰り広げられた会津の長く膨大な歴史の、ほんの一端でしかないのかもしれない。会津が後世に遺した本当の資産とは、領主から庶民まであまねく育まれた恩と義の高潔な武士道であり、人々の心に今なお受け継がれる誇りそのものだ。その不屈にして普遍の魂が、今なお私達を会津に惹きつける。この地に端を発する文化は、茶の湯同様、意外に知られていない事実もまだ多い。その糸口でもある「武徳殿」や「日新館」などの話についてはまた、次の機会にでもご紹介したい。







posted by aizuaruku at 16:02 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする