2016年03月22日

4月 春の桜詣で、会津花へんろ


花すがたに偲ぶ故国愛。
会津を染める桜色の春へ。

2016年3月

 限られた春の一時を、見事な華やかさと潔さで咲く桜は、まさに会津人の気概を思わせる花だ。標高がやや高く内陸部に位置する会津は、福島の他の地域よりも開花が遅く、見頃となるのは例年4月中旬から5月上旬にかけて。「日本の桜の名所100選」のひとつでもある鶴ヶ城をはじめ、市内の随所には戊辰戦争で荒廃したふるさとを憂い、明治以降、次々と植樹された桜の名所が多々ある。
 季節は待ち焦がれた春。かつてこの地に流れた歴史に想いを馳せながら歩く、会津の花へんろを会津若松市街地を中心に幾つかご紹介したい。


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DSC03825鶴ヶ城★s.jpgDSC03798鶴ヶ城★s.jpgDSC03786鶴ヶ城★s.jpg
DSC03837鶴ヶ城★s.jpgDSC03835鶴ヶ城★s.jpgDSC03756天寧寺町口郭門★s.jpg
DSC03736天寧寺町口郭門★s.jpgDSC03764興徳寺★s.jpgDSC03781興徳寺★s.jpg

◎鶴ヶ城・天寧寺周辺

<鶴ヶ城>
会津随一の花見スポットである鶴ヶ城(詳細はこちらのブログを参照)の公園内には、約1000本のソメイヨシノを中心に、エドヒガン、シダレザクラ、ヤエザクラなど、数多くの品種が時期をずらしながら咲き誇る。天守閣から見下ろす桜の景色は絢爛豪華。
恒例の「鶴ヶ城さくらまつり」では、東日本最大級と称される規模で史跡全体がライトアップされる。三の丸口の県立博物館駐車場の石垣に約100mに渡り続くタカトウコヒガンは、隣接する陸上競技場の白いソメイヨシノを背景に一段と華やか。
天守閣前広場には、かつて会津藩上屋敷のあった京都府庁旧本館中庭で、大島桜と山桜の特徴を持つ新種として発見され、「容保桜」の命名で寄贈された苗木の他、大河ドラマにちなんだ新種の桜「はるか」も植樹されている。

【鶴ヶ城さくらまつり】 ※平成28年予定
平成28年4月8日(金)〜5月8日(日)
TEL/0242-23-4141(会津まつり協会)

<天寧寺町土塁の桜>
鶴ヶ城から約1.0Km。花春町バス停前にある土塁は、1592(文禄元)年、蒲生氏郷が鶴ヶ城の改築において城の外郭と内郭を区画するために築造した遺構。現存する貴重な遺跡で国指定史跡。土塁上には大木のソメイヨシノがあり、バス停前の桜並木とともに春には道行く人々の目を楽しませてくれる。

<興徳寺>
創建は1287(弘安10)年。その由緒と格式から城下町が整備され寺院が郭外に移された後も、郭内に唯一留まることを許された寺で、会津の基礎を築いた名将で初代城主の蒲生氏郷公の墓(五輪塔)があることで有名。葵御紋の入った門の奥に広がるこじんまりとした広さの境内には、氏郷公の顕彰碑と辞世の句碑をはじめ、公が城下町建設に着手してちょうど300年目にあたる1891(明治24)年、「若松開市三百年祭」に寄せた松平容保の祝歌碑もある。公の遺髪を納めた五輪塔は万物の構成要素である空・風・火・水・地を表現。桜の季節には、墓所が桜で彩られ街の喧噪を忘れさせてくれる。すぐそばには、鎌倉時代から信仰される「おさすり地蔵」もある。

 〜蒲生氏郷辞世の句〜

 限りあれば 吹かねど花は散るものを 
 心みじかき 春の山風

 意味/風など吹かなくても花の一生には限りがあり、
    そのうちいつかは散ってしまうものなのに、
    それをどうして春の山風は何故こんなに急いで
    短気に花を散らしてしまうのでしょうか。

 〜松平容保の祝歌〜

 百年(ももとせ)を 三たび かさねし若松乃
 さとはいくちよ 栄え行らん

DSC03501向瀧★s.jpgDSC03507向瀧★s.jpgDSC03515向瀧★s.jpgDSC03518向瀧★s.jpgDSC03538瀧乃湯★s.jpgDSC03552大龍寺★s.jpg
DSC03554大龍寺★s.jpgDSC03558大龍寺★s.jpgDSC03570大龍寺★s.jpgDSC3570N大龍寺★s.jpg

◎慶山・東山温泉周辺

<東山温泉>
市街中心部から車でわずか10分。開湯1,300年の歴史を誇り、竹久夢二や与謝野晶子、土方歳三などにもこよなく愛された古き良き湯街は、桜が咲き誇る春のそぞろ歩きも情緒豊か。清冽な雪解け水の渓谷美と清々しい湯の温もりが堪能できる。

<正法寺>
上杉景勝公が会津拝領となり、伴って移ったお供寺のひとつ。慶長3(1598)年、越後の天倫寺の僧が開山。桜がほころぶ境内には、この寺に改葬を願った女の幽霊のために建立したと伝わる「幽霊の墓」や、漢詩「白虎隊」の作詩者、佐原盛純の墓がある。

<大龍寺>
1643(寛永20)年、会津移封となった保科正之とともに会津に移った機外禅師が開山した大龍寺(詳細はこちらのブログを参照)。境内には小笠原流の祖、小笠原長時の他、山本八重の実家である山本家や算学者の安藤有益など、多くの会津藩士族の墓所が並び、戊辰戦争殉難殉節供養碑もある。真赤に色づく秋の楓紅葉でも知られる寺は、春は参道が桜で埋め尽くされ、孔雀がいななく境内には三春の滝桜の子孫である見事なシダレザクラが楽しめる。

DSC03950小田山忠霊堂★s.jpgDSC03946小田山忠霊堂★s.jpgDSC04042善龍寺★s.jpg
DSC04086善龍寺より★s.jpgDSC04068善龍寺★s.jpgDSC04081善龍寺★s.jpg
DSC04107青木界隈★s.jpgDSC04133浄光寺★s.jpgDSC03965恵倫寺★s.jpgDSC03971恵倫寺★s.jpg
DSC03981恵倫寺★s.jpgDSC03891湯川沿い★s.jpgDSC03871湯川沿い★s.jpg

◎小田山・花見ヶ丘・北青木周辺

[小田山(小田山公園)]
古く葦名氏の本拠地、小田山城が築かれたことで知られる標高372mの小山。麓にはその葦名家ゆかりの名刹古跡が鎮座。山頂には会津藩家老、田中玄宰(たなか はるなか)の墓、北方警備の軍事奉行として樺太にも赴いた丹羽能教(にわ よしのり)をはじめとする丹羽家の墓もある。鶴ヶ城を見下ろすこの地は戊辰争の折、新政府軍の砲撃陣が置かれ山腹には当時を物語る「西軍砲陣跡」も残されている。

[花見ヶ丘・建福寺前・北青木地区]
善龍寺や建福寺がある北青木周辺は、昔ながらの入り組んだ細い路地に由緒ある寺社が点在する閑静なエリア。小田山の麓に位置するこれらの地区からは約2Km先の鶴ヶ城も間近に見え、桜の名木を鑑賞がてらの散策もおすすめ。

<小田山忠霊堂の桜>
小田山の麓にある慰霊塔。日清戦争および大東亜戦争をはじめとする戦没者の遺骨や遺品を安置。住宅地に囲まれた環境は静かで、満開時には桜のトンネルと化す並木道など、知る人ぞ知る花見の穴場スポット。

<善龍寺参道のしだれ桜>
寺は1643(寛永20)年、泉海が開山。会津拝領となった保科正之公の移封に伴い移ったお供寺のひとつ。戊辰の役で本堂をはじめとするすべての堂宇が焼失したものの、1797(寛政9)年に建造された竜宮造りの山門はそのままに残る。りんご畑が広がる長閑な参道にはしだれ桜が植樹され、山門との絵になる景色が楽しめる。境内には戊辰戦争の悲劇として語り伝えられる会津藩家老、西郷頼母一家の墓の他、自刃した西郷千重子の辞世の句を記した“なよ竹の碑”もある。

 【なよたけの碑】
戊辰戦争で殉じた名前の解る233名の婦女子の偉業を留めた慰霊碑。刻まれた歌は会津藩家老、西郷頼母の妻、千重子がたまわぬ竹の節になぞらえながら、会津婦女子の精神の強さをうたいあげたものとして有名。

 〜西郷千重子辞世の句碑〜

 なよ竹の 風にまかする 身ながらも
 たわまぬ節は ありとこそきけ

 意味/弱いなよ竹のように吹く風に連れてゆれ動くばかりの弱い女の身だが、
    そのなよ竹にはどんな強風にも曲がらない節があると聞く。
    私も節義に殉じて一死を選ぶ。

<恵倫寺(えりんじ)の桜>
1590(天正18)年、蒲生氏郷が父である賢秀の菩提を弔うため創建。本尊の聖観世音菩薩立像は、全国でも珍しい前方に両手を差し伸べ人々を救済する前傾姿勢。当時、郭内にあった寺は1612(慶長17)年、現在の小田山麓に移転。会津領の僧録寺として天寧寺、善龍寺とともに各寺院を管轄した。仁王像のある随身門を入った場所には流れ落ちるように見事に咲くシダレザクラがある。境内には柴四朗、柴五郎兄弟の墓もある。

<建福寺のしだれ桜> 
寺は1643(寛永20)年、保科正之公の移封に従って移ったお供寺。 正之公の養祖父、保科正直の法号から“建福”の号がとられた。現在の堂宇は1870(明治3)年、当時の鶴ヶ城御殿の古材を利用し、再建されたものといわれる。境内にある天然記念物のシダレザクラは樹高13m、幹周2.5m。根元付近で双幹となり、枝は三方向へ広がり花の咲いた姿の美しさは格別。歩いて5分程の場所には長岡藩家老、河井継之助の埋骨地があり、歴代住職の墓地内にも樹齢100年程ののシダレザクラがある。

<湯川沿いの桜> 
小田山から市街中心部へと向かう小田橋から天神橋までの鶴ヶ城側土手は「湯川いこいの河端公園」として、散歩にも最適なソメイヨシノの桜並木が続く。

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DSC03663東部公園★s.jpgDSC03687東部公園★s.jpgDSC03709蚕養神社★s.jpgDSC03714蚕養神社★s.jpg
DSC03644会津短期大★s.jpgDSC03636八幡神社★s.jpgDSC03637八幡神社★s.jpg

◎飯森山周辺

<飯盛山>
白虎隊の自刃の地である飯盛山(詳細はこちらのブログを参照)には、厳島神社やさざえ堂など、墓所へと続く参道沿いに志士たちの御霊を慰めるように多くの桜が咲き誇る。

<飯盛山の太夫桜>
飯盛山にある白虎隊記念館の傍らに咲く太夫桜は、石部桜と並ぶ会津の二大老樹のひとつ。高さ約13m、周囲約5.5m。樹齢約300年のこのエドヒガンザクラは、1626(寛永3)年、会津城下の掘江町にいた“いつき太夫”という名の名妓が花見の折、暴徒に殺められ、これを悼んだ太夫の弟で法師の南秀が墓畔に植えたことに由来するとされる。現在、その樹はすでに枯れ、2代目と伝えられる。

<東部公園>
閑静な住宅地の中に佇む市民公園。芝生グラウンドや遊具広場のある園内は近隣住民による憩いの花見スポットとして愛され、春には弁当持参で花見に訪れるちいさな子供連れの家族も多い。黄色い水仙とソメイヨシノ、シダレザクラのカラフルな競演も心和む景色。

<蚕養国神社の峰張桜>
会津若松市内の古三社のひとつ、蚕養国(こがいくに)神社(詳細はこちらのブログを参照)の境内にある御神木で、幹周約8mを誇る推定樹齢1.000年以上のエドヒガンザクラ。樹勢の衰えが目立ち始め、近年、接ぎ木の育成にも力が入れられている。ソメイヨシノと比較し花の量も少ないが清楚に白く咲く花は風格が漂う。市指定天然記念物。

<会津短期大学の桜並木>
会津大学に付設されている県立の短期大学部で、福祉系の学科をもつ全国の公立短期大学では最古と言われる。略称は会津大短大部。敷地内には桜並木が続き、付近の会津学鳳高校の桜とともに花見スポットとなっている。

<一箕山(いっきやま)八幡神社>
会津短期大学と会津学鳳高校の間に鎮座する古社で、用明天皇の御代(585〜587)、京都の石清水八幡宮の分霊を勧請し、前方後円墳の頂に創建されたと伝わる。寛治年間(1087〜1094)、源義家が社殿を建立した際、動員した農民1万人に一箕ずつ土を運ばせて築いたことからこの名がついたとされる。
小高い丘にケヤキ、エノキ、ナラ等が立ち並ぶ社業林は、周辺の開発が進むなかに残る貴重な樹林。樹高約40mのスギは天狗杉と呼ばれ、地域のランドマークとして親しまれている。大わらじが奉納された神門前には桜の古木が佇み、由緒ある社の歴史を物語る。

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DSC03496石部桜周辺★s.jpgDSC03457大塚山古墳★s.jpgDSC03440大塚山古墳★s.jpg

◎飯森山以北

<石部桜>
樹齢600年。飯盛山の北側に広がる田園地帯でひときわ目を引くエドヒガンの一本桜。1611(慶長6)年から編纂された「会津風土記」や、その後の「新編会津風土記」の中にも、会津五桜のひとつとして記載がある。中世会津の藩主、葦名氏の重臣、石部冶部大輔の庭にあった遺愛の桜と伝えられ、大河ドラマのオープニングにも登場。地面から隆起した8本の幹全体の枝張は約20m。迫力ある逞しさと淡い花姿のやさしさを あわせもつその姿は市天然記念物に指定。昼間の喧騒を離れた静かな雨の夜の石部桜の姿は“石部夜雨”として「会津八景」のひとつに選ばれている。根本には、この桜に寄せた江戸時代の歌人たちの歌碑もある。

 〜千種 有功(ちぐさありこと)〜
 1797(寛政9)〜1854(寛永7)。江戸時代の公卿、歌人。

 うゑおしき
 人のこころの花ざくら
 にほひちとせも
 苔むさずして

 〜村田 春海(むらたはるみ)〜
 1746(延享3)〜1811(文化8)。江戸時代中期から後期にかけての国学者、歌人。

 野となりし
 のちのかたみと春ごとに
 さくやむかしの
 庭ざくらかな

 〜星 暁邨(ほしぎょうそん)〜
 1815(文化12)〜1900(明治33)。江戸末期から明治期までの会津を代表する画家・歌人。

 花みつつかすみ
 酌むまのひと時は
 うき世の外の
 我世なりけり

<会津大塚山古墳の桜>
四世紀末に築造されたと推定される全長約114mの前方後円墳は国の史跡に指定。その規模は県内では亀ヶ森古墳に次いで第2位、東北地方でも第4位を誇る。現在、周辺は墓地として整備されており、春には周辺を取り囲むように桜が咲き誇る。360度の視界が広がる山頂からは雄大な磐梯山の絶景も一望できる。

DSC03400神指城跡★s.jpgDSC03389神指城跡★s.jpgDSC03382神指城跡★s.jpg

◎その他

<神指(こうざし)城跡の桜>
市街地から車で約15分。田園が広がる郊外にある神指城は、上杉景勝が徳川家康の会津征伐に備えて計画した未完の城。完成すれば面積は鶴ヶ城の約2倍。奥州を代表する巨大城郭だったと言われる。現在は二の丸の一部と本丸跡をわずかに残すのみ。東北隅の土塁上には築城前からあった「高瀬の大木」と呼ばれる根周り約13m、樹高約25m、推定樹齢500年もの国指定天然記念物ケヤキの巨木に寄り添うように、見事なソメイヨシノの大木が春を彩る。


田季野全景縦s.jpg田季野01s.jpg田季野五種輪箱飯s.jpg田季野けっとばし輪箱飯s.jpg
ゆっくらシングルs.jpgゆっくらツインs.jpgゆっくらラウンジ縦s.jpgゆっくら玄関s.jpg瀧の湯夕食s.jpg

目に舌に愉しい春の味遊び。
会津名物、元祖輪箱飯。

 桜巡りがてら立ち寄りたい味処「田季野」は、奥会津の檜枝岐で600年もの歴史を誇る伝統工芸“曲げわっぱ”を使った輪曲飯(わっぱめし)”が味わえる名店。フタを開けた瞬間、箸を急かせる香りをまとった湯気とともに、鮮やかな彩りが目を楽しませる輪曲飯は、五感が悦ぶ御馳走。メニューには、ぜんまい、茸、蟹、鮭、卵の具材がのった人気の「五種輪箱飯」(1,900円)の他、特産の馬肉を甘辛く煮た「けっとばし」(1,030円)など数種類あり、いずれも前菜2品と味噌汁、漬物が付く。
 かつて会津西街道にあったという築250年の陣屋を移築・復元した建物は風格をたたえ、戦の傷跡を残す大黒柱と太い梁、陣屋らしい立派な囲炉裏など、骨太で美しい佇まいが目を引く。店では他にも単品で楽しめる郷土料理も揃う。じんわりと体に染み入る春の味遊びにぜひ、いかがだろう。
 ちなみに瀧の湯の本館から歩いて2分程の場所には、気軽なアネックス館「ゆっくらイン」もある。部屋はシングルとツインの2タイプ。風呂は本館の大浴場が利用でき、夕朝食も移動して瀧の湯の館内でゆっくりと堪能できる。季節が良くなるこれからのシーズン、気軽なひとり旅や長期滞在にも最適だ。

 現在、国内に咲く桜のほとんどはソメイヨシノだという。寿命が約80年と言われるソメイヨシノは成長が早く、花の盛りが樹齢15〜50年であることから、人の一生にも例えられる。私たちがこの花に人生の時間軸を重ね、命の尊厳を見出すのはそのせいだろうか。桜の花言葉は「精神美」。それを知ればことさらに会津の花巡りもひとしおだ。季節との約束を決して忘れない、桜の清らかな美しさに、この春、ぜひ出会って欲しい。




posted by aizuaruku at 16:08 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする