2015年09月30日

9月 飯盛山に白虎隊の軌跡を訪ねて



水音涼やかな山間の聖域。
神霊が宿る滝沢不動尊。

2015年9月某日

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 今を遡ること約150年前の1868年9月22日。一ヶ月に渡る籠城戦の末、会津藩は西軍(新政府軍)に降伏し、ここに数多の哀憐を誘った会津戊辰戦争が終結した。今なお語り継がれる悲劇の中でも、特に有名なのが飯盛山で自刃した少年志士「白虎隊」の逸話だろう。彼らの墓前で慰霊祭が行われる9月は、会津を旅する者にとっても特別な月だ。
 夏の微熱と湿気が共存する初秋。未だ恋しい涼を探して向かったのは旧滝沢本陣を通り過ぎ、滝沢峠へ続く林道を車で10分程進んだ先の「滝沢不動尊」。社はモトクロス練習場を少し過ぎ、“南無不動明王”と書かれた赤い幟が立ち並ぶ石段を谷へ向かってしばらく降りて涼やかな川沿いを進んだ先にある。観光客で賑わう飯盛山と程近い場所にありながら、水音と木々のざわめき、鳥の声だけが響く山間は、喧騒と無縁の清澄な静寂。
 やがて杉木立の参道の先に、岩肌を抜いとる絹糸のような姿の滝が現れた。落差は20数m程だろうか。決して迫力のある大きさではないが、ひとつの神秘的な世界を完結する高貴なその清々しさに目を奪われる。滝の手前には「白糸神社」、川を挟んで「滝沢不動尊」、「滝沢観音堂」が合祀されているようだ。付近には滝水を引いた手水舎や歴史を感じる不動明王の石仏も見え、水垢離や滝行をするためだろうか、滝壺へ降りる石段もあった。神霊の存在を感じる厳かな場所で、滝に向かい柏手を打ち頭を垂れる。軽装でも行ける「滝沢不動尊」は、心洗うおすすめの穴場スポットだ。

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52旧滝沢本陣刀疵.jpg54旧滝沢本陣弾疵.jpg51旧滝沢本陣.jpg61旧滝沢本陣02.jpg

穏やかな初秋の陽射しが象る
戦乱の鎮魂歌、旧滝沢本陣。

 不動尊から帰る途中で立ち寄った「旧滝沢本陣」は会津戊辰戦争の折、藩主松平容保の陣屋となった場所だ。白河街道の滝沢口(滝沢峠の登り口)にある建物は、もともとは郷頭の屋敷だったが、参勤交代をする藩主が休憩所にしたことから本陣に指定され、のちに座敷の部分が追加建築されたという。
 敷地内の駐車場に車を停め、隣接する家の管理人に入館料(大人300円)を支払い、早速、主屋を見学。古い農機具や生活用品等を展示する土間の奥には、本陣らしく御入御門や御座の間が当時のままに残され、歴代藩主が愛用した品々が展示されている。館内の音声ガイダンスを聞きながら連れが指差した先には、激戦を物語る刀傷も。気付けば主屋のあちらこちらに生々しい弾痕跡も見える。
 時は1868(慶応4)年8月22日。松平容保は会津城下に進軍してくる西軍を、戦略の要衝であった戸ノ口原で食い止めようと、この地に大本営を構え自ら指揮をとった。刻々と悪化する戦局に、容保は遂に自己の護衛として引き連れていた白虎隊の士中2番隊に応援出撃を命じる。当時、白虎隊の編成年齢は弱冠16〜17歳。全員が初陣だった。
 市内で当時の戦の刀傷が残る建物はここ「旧滝沢本陣」だけだという。縁側に座り、歴代藩主も眺めただろう遠州流の庭園に目を馳せる。そこにはかつてこの地に流れた荒々しい時代が嘘のような、穏やかな光と影が初秋の長閑さを象っていた。

02客室和洋室.jpg27幻の湯.jpg31かわかぜ足湯.jpg
06夕食.jpg10夕食.jpg15語り部.jpg16貸切十六夜の湯.jpg
20朝食.jpg21朝食.jpg23庄助の湯.jpg03能舞台客室より.jpg

川に寄り添う貸切露天で、
湯遊び三昧の庄助極楽。

 「瀧の湯」の数ある貸切露天風呂を楽しむ算段(笑)で、今日は少し早めのチェックイン。まず夕食前に向かった「幻の湯」は、肩まで浸かればまるで川遊びしているような愉快な目線が味わえる貸切風呂だ。“幻”の名は、川の増水により風呂の姿が消えるところにあるらしい。広い湯船は家族旅行での賑やかな湯遊びにも最適。すぐ隣の「かわかぜ足湯」では、無料のビールやところ天で湯上りのほてり冷ましも贅沢に満喫できる(笑)。
 今夜の夕食は、我が家気分で楽しめる部屋食スタイル。名残の季節があしらわれた献立は、濃厚な温泉卵でいただく福島牛の「出汁牛すき焼き」をはじめ、夏バテを吹き飛ばすボリューム感だ(笑)。頃合をみて出来立ての料理を運んでくれる中居さんとの気さくな会話も心を和ませてくれる。
 夕食後、中居さんに勧められて向かったロビーラウンジでは、語り部による会津弁の民話会を鑑賞。対岸の能舞台「花心殿」には会津の歴史映像も映し出され、自然空間を利用した立体的な演出も。
 就寝前には「十六夜の湯」で夫婦だんらん。風呂は特注の“信楽焼”の巨大な湯船が川に面して2つ並ぶ造りで、それぞれに温度が異なっている。周囲は瀬音だけが届く夜の静寂。昼とはまた違う妖しさで浮かぶ花心殿を、ふたり占めで仰ぐひととき。
 以前、大浴場で楽しんだ「庄助酒風呂」(詳細はこちらのブログを参照)同様、翌朝に向かった「庄助の湯」は、地元の蔵元から譲り受けた日本酒の“麹釜”を利用したユニークな風呂だ。酒と風呂をこよなく愛した、まさに庄助さんらしい朝湯をどっぷりと満喫(笑)。貸切風呂は1回45分の利用で、朝4時半から深夜1時まで楽しめる(状況によって変更)。希望するなら宿泊予約やチェックインの際に早めに申し出しておくといい。
 腹を空かせていただいた朝食の旨さは格別だ。ひとまわり若返った気分で、名物の餅料理を2皿ペロリと平らげる(笑)。さあ、今日はいざ飯盛山に出陣だ。

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思い出を辿る大人の修学旅行。
飯盛山参道のぶらり歩き。

 飯盛山まではホテルから車で数分。麓にある無料の市営駐車場に車を停め、そこから墓所まで仲見世の続く道を歩いて向かう。道には地元の小学生らしい一団が、誘惑満載のご当地ファストフードや土産物の前でたむろしている(笑)。微笑ましいその光景に、数十年前、修学旅行でここを訪れた自分の姿が重なる。店の方に伺えば、子供たちの人気No.1土産は、今も昔も変わらぬ“白虎刀”(!)だという(笑)。
 ほのぼのとした賑わいにほだされ、私たちも素朴な味わいの「あわまんじゅう」と「茶まんじゅう」(双方1個97円)を購入。店の休憩所の奥にある伝統工芸品コーナーでは、職人が「絵ろうそく」の絵付け最中のようだ。手間のかかる工程をすべて手作業で行う会津絵ろうそくは時の藩主、芦名盛信公が漆樹の繁殖栽培を奨励し、漆器の製造と共に、その実から採れる高価な“木ろう”を利用して作らせたことに始まるという。菊や牡丹、藤など季節の草花が鮮やかに描かれたろうそくは、高級な贈答品として重宝され、婚礼の席には一対が灯され、これが“華燭の典”の語源になったとも言われる。

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38飯盛山さざえ堂.jpg36飯盛山さざえ堂01.jpg37飯盛山さざえ堂.jpg
40飯森本店展望台.jpg40飯盛山十九士墓.jpg41飯盛山十九士墓.jpg44飯盛山自刃の地.jpg

武士の本分を一途に貫いた
白虎隊士の悲劇と純情。

 飯盛山の墓所へは、中央の石段をひたすら登る最短の新参道と、石段を迂回し、ゆるやかな坂道を登る旧参道がある。私たちが進んだのは登りやすい旧参道。この道沿いには白虎隊記念館や永徳年間(1381〜83)に建立された「厳島神社」、戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊が城へ退却する際に通った「戸ノ口堰洞穴」、そして巻貝のような独特の形から通称「さざえ堂」と呼ばれる観音堂がある。
 懐かしさに拝観料(大人400円)を支払い、数十年ぶりで「さざえ堂」の中を見学。内部は入口から出口まで階段のない斜路が続き、降りてくる人と決してすれ違わない一方通行の二重螺旋構造だ。この仏塔が200年以上前に造られたのだから驚きだ。とはいえ、感心する私たちの脇をはしゃぎながら登る子供達にとっては、あの頃の私と同じ、年代物のアトラクションといったところらしい(笑)。敷地内には白虎隊19士の霊像が安置された「宇賀神社」も見え、売店の展望テラスから眼下に見晴らす市街地の景色が、墓所が近いことを教えてくれる。
 目指す場所はそこから歩いてすぐ。視界が開けた広場の奥に整然と並ぶ19石の墓前には、真新しい花や線香がたむけられていた。当時、白虎隊は総勢343名。そのうち戸ノ口原に向かったのは士中2番隊の37名。うち17名が無事入城を果たすが、残りの20名はこの山で火煙に包まれる城を目にし自刃。蘇生した1名を除く19名が若い命を落とした。墓石の傍らには、各地で戦死した白虎隊「三十一士の墓」や「会津藩殉難烈婦碑」、隊士の精神に感銘したローマやドイツから寄贈された顕彰記念碑もあった。
 「白虎隊自刃の地」は、そこから「飯沼貞吉の墓」(19志士の唯一の生存者)の前を過ぎ、鶴ヶ城を見下ろす東側の山腹の墓地に囲まれた場所にある。少年らと同じ場所に立ち、彼らが見たであろう方角に城の姿を探してみる。…微かに見えるその小ささに思わず絶句。ここから市中火災の模様を目にすれば、自刃を決意するのも無理はない。白虎隊について詳しく知りたいなら、参道沿いにある白虎隊記念館もぜひ訪れて欲しい。

64妙國寺.jpg66妙國寺白虎隊埋葬碑.jpg67妙國寺.jpg69蚕養国神社☆.jpg
72蚕養国神社繭絵馬.jpg71蚕養国神社.jpg70蚕養国神社.jpg73蚕養国神社.jpg
76太郎庵ラーメンプリン.jpg79太郎庵.jpg78太郎庵休処.jpg75太郎庵土人形.jpg

千年を生きる桜老樹の神木。
会津で出会う祈りの系譜。

 飯盛山の近くには当時、逆賊として埋葬が許されなかった隊士の亡骸を密かに仮埋葬した「白虎隊自刃仮埋葬地」の「妙國寺」もある。1394(応永元)年に開山した寺は、会津藩が降伏後、藩主松平容保父子が一ヶ月間謹慎した場所としても知られている。慰霊碑は山門の右手、墓所に囲まれた静かな場所にひっそりと建っている。
 その名に魅かれて立ち寄った、日本で唯一“蚕”の名をいただく「蚕養国神社(こがいくにじんじゃ)」は、会津若松駅と飯盛山を結ぶ白虎通りを少し入った場所だ。創建は811(弘仁2)年。“こがいさま”の名でも親しまれる社は、諸業繁栄の神として県内外から今も篤く信仰されている。ここにある樹齢1,000年の御神木「峰張桜」は会津五桜のひとつ。社は春の桜はもちろん、これからの季節は紅葉の名スポットらしい。
 帰りに手土産を求め訪れた「太郎庵」(総本店)は、会津の素材による菓子づくりで定評の菓子舗。オリジナリティあふれる和洋菓子が所狭しと並ぶ店内には、無料の珈琲やお茶が楽しめる喫茶コーナーも併設され、観光がてらの休憩にもおすすめだ。会津エリアらしい楽しい創作洋菓子「ラーメンプリン」(432円)と、瀧の湯での民話にも登場した“みしらず柿”のゼリー「会津見知らず」(258円)を私たちも購入し、早速、ひと休み(笑)。店の2階には自由に鑑賞できる全国の土人形を集めたミニ展示館もあった。
 「白虎隊」ゆかりの地を歩いた今回。そもそも“白虎”は中国の伝説上の聖獣で、西方を守護する“四神”のひとつだ。一説では四神の中で最も若い存在とも言われ、「白虎隊」の名もそこからきているのかもしれない。飯盛山から燃え盛る城下を眺めた白虎隊士たち。図らずも五行思想で“火”を示す“白”と結びつくのは天の悪戯だろうか。そんなことに想いを巡らせる初秋の会津紀行だった。





【飯盛山に白虎隊の軌跡を訪ねて 詳細】



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■滝沢不動尊
会津若松市の北西、飯盛山近くを流れる一級河川不動川の上流にある不動尊。会津三十三観音巡りの第十八番札所。中央を流れる高さは約25mの滝は白糸が垂れたように見える姿から「白糸の滝」と呼ばれる。酉年生まれの守り観音「不動尊」とともに「滝沢観音」、「白糸神社」が合祀された霊場で、戊辰戦争の際、白虎隊士が戸ノ口原から飯盛山に逃れてくる途中に通ったことでも知られる。

住所/会津若松市滝沢町
TEL/0242-39-1433(会津市役所観光課)
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■旧滝沢本陣
白河街道の滝沢口にあることから、会津藩主の参勤交代や休息に使用された名主横山家の住宅。戊辰戦争時には、藩主松平容保の出陣によって陣屋となり、白虎隊士が出陣の命を受けた場所としても有名。御座之間、御次之間には今も当時の激戦を物語る砲弾の跡や刀傷が生々しく残る。現存する建物のうち、主屋および座敷は東北地方で最も古い建物として国の重要文化財に指定。敷地と建物は国の史跡指定。内部には藩主ゆかりの武具や茶道具の展示の他、古文書などが公開されている。

住所/福島県会津若松市一箕町滝沢122
TEL/0242-22-8525
入館料/大人300円 高校生250円 中学生150円 子供100円
営業時間/8:00〜18:00(冬期間9:00〜17:00)
定休日/無休
駐車場/有り
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↓パンフレットはこちら
旧滝沢本陣パンフ01.jpg旧滝沢本陣パンフ02.jpg

■庄助の宿 瀧の湯 [貸切風呂

【貸切露天風呂】
◎幻の湯
源泉掛け流し
貸切露天風呂(露天風呂・洗い場なし)
源泉掛け流しの「幻の湯」。その昔、増水した時には姿を消し、水位が低くなった時にはまた姿を現すことから名付けられたまさに「まぼろしの湯」。開放的な雰囲気を愉しみたい方におすすめの浴場。
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◎十六夜の湯
貸切眺望風呂(露天風呂・洗い場なし)
一枚の風景画のような貸切風呂。目の前に広がる「湯川の渓流」、「美しい竹林」、そして能舞台「花心殿」を独り占め。温度の異なる2つの浴槽は、高級陶磁器で有名な「信楽焼」の特注品。
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◎庄助の湯
貸切眺望風呂(露天風呂・かけ湯用カランのみ)
会津銘酒「宮泉酒造」から、特別に譲り受けた日本酒の麹釜を使用した浴場。湯川の渓流に近く、渓流を眺めながら「庄助気分」に浸れる。
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【貸切露天風呂ご利用可能時間】
4:30〜25:00(利用状況によって変更あり)

【日帰り料金】
料金はお一人様1,200円(小タオル1枚付、入浴料込み)となります。
詳しくはお問合せください。
※季節・利用状況によって時間等は変更になります。

■飯盛山
会津若松市の北西に位置する標高314mの小高い山。古くは弁天山と称し、会津鎮護だった宗像神社(厳島神社)が鎮座。戊辰戦争の際は背後にある戸ノ口原の戦いで敗戦した白虎隊士20名が戸ノ口堰洞穴を抜け退却してきた山で、「白虎隊」自決の地として観光スポットになっている。展望テラスからは会津若松市街を見渡す夜景も楽しめる。白虎隊墓所の参拝のための動く坂道“スロープコンベア”(大人250円 小人150円)もある。

住所/福島県会津若松市一箕町八幡弁天下

◎厳島神社
永徳年間(1381〜83)、石塚、石部、堂家の3家が宗像三女神である市杵島姫命の分霊を勧請し社殿を建立したのが始まりと伝わる神社。当初は宗像神社と称し“弁天山”と呼ばれた。歴代領主からも信仰され芦名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏(松平氏)の崇敬社となった。明治の神仏分離令により厳島神社と改称された。
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◎戸ノ口堰洞窟 
元和年間(1615〜1624)から元禄年間(1688〜1704)、猪苗代湖から会津地方へ水を引くために掘られた灌漑用の堰。トンネルの長さは約150m。工事に刈り出された人夫は5万5千人に達したと言われる。1868(慶応4)年8月23日、戸ノ口原の戦いで西軍に敗れた白虎隊士中2番隊20名が鶴ヶ城の情勢を確認するため、退却の際、この洞窟を利用した。現在も農業や工業用水に使われている。
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◎さざえ堂
1796(寛政8)年、宗像神社(厳島神社)の別当だった正宗寺(せいそうじ)第12世郁堂和尚が建立した高さ16.5m、六角三層の観音堂。正式名称は「円通三匝堂 えんつうさんそうどう」。巻貝のような形状から通称「さざえ堂」の名で親しまれている。内部は右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在し、参拝者がすれ違わない世界でも珍しい木造二重螺旋構造。当時、西国三十三観音像が安置され、三十三観音参りができるよう造られたとされる。現在、仏像は明治の神仏分離令で撤去され、皇朝二十四孝(会津藩道徳教科書)の絵顔が掲げられている。国の重要文化財指定。

住所/福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155番地
TEL/0242-22-3163 
拝観料/大人400円 大学・高校生300円 小・中学生200円
拝観時間/[4〜12月]8:15〜日没
     [1〜3月]9:00〜16:00
38飯盛山さざえ堂.JPG37飯盛山さざえ堂.JPG36飯盛山さざえ堂01.JPG

◎宇賀神社 
三代藩主正容が宇賀神(弁才天と神仏習合していた穀物、食物を司る神)を勧請し、厳島神社の傍社として弁財天像を神像に建立した神社。創建は寛文年間(1661〜1672)。内部には会津戊辰戦争で自刃した白虎隊19士の霊像を安置。
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◎白虎隊十九士の墓 
1868(明治元)年の会津戊辰戦争において飯盛山で自刃した19士の墓。当時、隊士の遺骸は、西軍により手をつけることを禁じられており、現在の形に墓が建てられたのは1890(明治12)年。これまで二度にわたり墓域が拡張されている。毎年4月24日と9月24日、墓前では慰霊祭が開かれる。

[白虎隊]
会津戊辰戦争に際し会津藩は中国の四方(東西南北)の武神の名のもと「玄武隊」「青龍隊」「朱雀隊」「白虎隊」の4隊を組織。それぞれの隊は年齢や身分階級によって、「士中」「寄合」「足軽」の3隊に分けられていた。343名(推定)から成る「白虎隊」は4つの部隊の中でも、最も若年層である16歳から17歳の武家の男子によって構成され、本来は実戦部隊ではなく後方支援部隊要員であった。自刃した士中2番隊は会津藩校日新館に学ぶ武家の子息によるエリート隊。装備していた火器は旧式銃(ヤゲール銃、ゲベール銃の短銃身化、前装装条銃)のみであったとされる。

白虎隊の編成(16〜17歳)
士中 1番隊  49名    士中 2番隊 42名
寄合 1番隊 106名     寄合 2番隊 67名 
足軽隊  79名
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◎飯沼貞雄の墓 
白虎隊士自刃者唯一の蘇生者、飯沼貞吉少年(後に「貞雄」と改名)の墓。白虎隊の悲劇は貞雄によって後世に伝えられた。助け出されて後、貞雄は通信省の技師として挺身し1931(昭和6)年に仙台市で没した。貞雄は生き残った事を生涯悔い、会津若松には近寄らなかったと言われ、遺言により白虎隊の墓近くに1957(昭和32)年、遺骨の一部が分骨され埋葬された。本墓は宮城県仙台市の輪王寺。

◎白虎隊自刃の地
白虎隊19士の墓所の東側の山腹の墓地を僅かに下った場所にある自刃の地。会津若松市中心部が一望できるこの場所から城下の炎上を眺め「人生古より誰か死なからむ、丹心を留守して汗青を照さん」と城を拝し全員合唱ののち自刃した。
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■宝光山 妙國寺
1394(応永元)年、日仁上人が開山した日蓮宗の寺。日什門流八別格本山のひとつ。戊辰戦争で会津藩が降伏後、藩主松平容保父子が一ヶ月間謹慎した寺として知られる。
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◎白虎隊仮埋葬地 
白虎隊士の飯盛山での自刃後、逆賊として扱われた藩士の亡骸は埋葬を許されず、哀れに思った滝沢村の吉田伊惣治が、西軍の目を盗み菩提寺に最初に埋葬したが、すぐ西軍の知るところとなり亡骸は掘り起こされ、ふたたび放置された。埋葬が叶ったのは降伏してから半年後のことであった。

住所/福島県会津若松市一箕町八幡墓料78
TEL/0242-25-3337
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■蚕養国神社(こがいくにじんじゃ)
別称「蠶養宮」。811(弘仁2)年に勧請された古社で、延喜式神名帳に記載された陸奥一百座のひとつ。兵火により社殿が度重なり焼失するものの会津藩主、保科正之公および8代容敬により再建。養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されている。本殿は皇子造(王子造/熊野造)。広い境内には幣殿、拝殿、神饌所、神楽殿等がある。福島県内に十数社存在する蚕養神社の中心的存在。

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◎峰張桜(エドヒガン) 
樹高14m、胸高幹周5.7m、根元幹周8.1m。推定樹齢1,000年以上とされる御神木。1011(寛弘7)年、石部少将道秀らによる社殿創設の際に植えられたと伝わる。市指定天然記念物指定。春季大祭である4月19日には、毎年参拝者が神社で仕込んだ濁酒を楽しむ桜花祭が開催される。

住所/福島県会津若松市蚕養町2-1
TEL/0242-37-3166

■お菓子の蔵 太郎庵
会津の風土をお菓子で表現する“会津の応援菓”をテーマに、安心・安全な原材料による、会津ゆかりの和洋菓子で愛される店。穀物蔵と下郷町の古い民家を融合した意匠の会津総本店を筆頭に、会津若松市内に12ある店舗のすべてを展開。幾つかの店舗にはその場で菓子が楽しめる、無料喫茶コーナーも設置している。

[会津総本店]
住所/福島県会津若松市白虎町180-1
TEL/0242-32-2877
営業時間/9:00〜19:00
定休日/無休(元旦は休業)
駐車場/有り
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posted by aizuaruku at 12:20 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする