2018年11月30日

会津三十三観音巡 一番〜九番札所

三十三観音巡礼で出逢う会津
【会津三十三観音●1〜9番札所】秋の喜多方巡り

2018年9月某日

 観音様は三十三の姿に身を変え衆生を救ってくださるのだとか。そんな「観音信仰」に基づく「三十三観音巡り」のはじまりは平安時代に成立した「西国三十三観音」に遡るらしい。以降、徐々に他の地域にも広まっていったという。
 「会津三十三観音」が定められたのは江戸時代初頭の寛永20(1643)年以降と言われる。

7番熊倉観音s☆DSC04905.jpg3番綾金観音周景s☆DSC06560.jpg5番熱塩観音示現寺s☆DSC06008.jpg会津大仏願成寺庭園s☆DSC06058.jpg

 参勤交代に伴う街道の整備がなされたこの頃、伊勢参りや熊野詣、西国三十三観音巡りなどの信仰の旅が庶民の間でも盛んになっていた。
 しかし時間やお金をかけての遠出は、会津の領民の中でもとりわけ嫁いだ女性達にとってはとても叶わぬことだった。そこで当時の領主保科正之公は、遠方に行かずとも札所巡りができるよう、領内に三十三観音を配したのだと言われている。
 また、領民が巡礼のために遠地へ赴くことは多額の金銭や働き手が領外に流失するということを意味し、それを防ぐための施策でもあったらしい。裏を返せばそれだけ当時の人々の巡礼熱が高かったということなのだろう。
 会津盆地を一周するように置かれた札所にはそれぞれの「御詠歌」が詠まれ、「観音講」と称する観音巡りは主に女性の楽しみとして発展した。畑仕事が一段落する7月頃には「御詠歌」を唄いながら仲間とともに田んぼ路をゆきかう女性達の姿が多くあったという。

会津大仏s☆DSC06040.jpg4番高吉観音s☆DSC06528.jpg4番高吉観音周景s☆DSC06507.jpg6番勝観音s☆DSC06085.jpg

 札所の多くは、メジャーな観光名所とは無縁の、ひっそりと佇む小さなお堂ではあるが、今なお地元の人々に大切に守られている。そんなところにも心惹かれ、「会津三十三観音」を中心にした会津を巡りを思い立った次第である。これから何回かに分けて訪問し、感じたことなどを綴ってみたいと思う。
 今回訪れるのは「喜多方エリア」。喜多方市には1番から9番までの札所がある。そして丁度「長床の大イチョウ」も色づく頃。札所を順番に巡りながら、少しばかり目先の変わった喜多方の秋の旅をお伝えしたい。


1番札所 大木観音(おおきかんのん)【真言宗紅梅山常安寺】

 会津盆地は、市街地こそ住宅が集中しているものの、ほぼ全域に田んぼが敷き詰められ、その中に小さな集落が点在しているような形だ。「第1番札所・大木観音」もそんな集落のひとつにある。
 稲刈り跡が残るだけとなった田んぼと、遠くに連なる山々の風景を眺めながらお目当の場所に向かう。県道から集落へ続く細い道を入ると家々の間にお堂がある。小さいながら仁王門も構えられており、仁王様が迎えてくれる。この仁王様がまた良い。大きな頭にどんぐり眼、どことなくユーモラスで素朴な雰囲気が、畏怖というよりは親しみを感じさせてくれる。
 お堂にまつられているのは十一面観音。一度は伊達に焼かれ上杉が再建したという歴史を持つが、まだ会津三十三観音が制定される前の話ではある。

1番大木観音s☆DSC06386.jpg1番大木観音s☆DSC06425.jpg1番大木観音s☆DSC05288.jpg1番大木観音s☆DSC06416.jpg
1番大木観音周景s☆DSC06435.jpg1番大木観音s☆DSC06397.jpg1番大木観音周景s☆DSC06433.jpg1番大木観音周景s☆DSC06427.jpg

 お堂に貼ってあった手書きの案内図を頼りに御朱印所へ。ご近所の檀家さんが御朱印所になっているらしい。場所はすぐに分かったものの、残念ながらこの日はご不在の様子。せっかくなので周辺を散策してみる。農機具などが置かれている年季の入った倉庫や小屋、白壁の蔵、道端の水路に浮かぶ落ち葉が秋の陽ざしとともに郷愁を誘う。


2番札所 松野観音(まつのかんのん)【曹洞宗仏宝山良縁寺】

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 第2番札所までは、第1番札所から約5km車で約5分ほど。山の麓の集落にあるのが「第2番札所・松野観音」だ。
 両脇に住宅や蔵が並ぶ生活道路を行くと、札所を示す小さな看板と六段ほどの低く小さな石段が見える。奥の観音堂まで続く細い参道は、間口の小ささに比べるとかなり長い。いわゆるうなぎの寝床状の細長い敷地だが、緑に囲まれた参道脇にはブランコやベンチも置かれて、ちょっとした公園のようにもなっている。
 小さな観音堂の後ろには細く高く伸びた杉の木が二本。その奥には畑が広がる。お堂に祀られているのは千手観音。案内の看板には記されていなかったが、ここの観音様には「腹観音」という別名があり、古くから子宝や安産を祈願されてきたという。

2番松野観音s☆DSC06581.jpg2番松野観音周景s☆DSC05321.jpg2番松野観音周景s☆DSC06593.jpg2番松野観音周景s☆DSC06616.jpg
2番松野観音良縁寺s☆DSC06622.jpg2番松野観音良縁寺s☆DSC06617.jpg2番松野観音御朱印s.jpg

 御朱印所はここから300〜400mほど離れた「良縁寺」。ここでも御朱印所への手書きの案内地図が貼られていたが、観音堂からは一本道なので迷う心配はない。良縁寺がお留守の場合は檀家さんのお宅で対応してくださるらしい。
 良縁寺では、お若いご住職が快く御朱印を授けてくださった。書いていただくのをお待ちしている間、奥にいらしたまだ小さなお子様が目が合うと笑いかけてくれて、こちらも自然と頬がゆるむ。 
 良縁寺の本堂横には「延命地蔵堂」の立派な看板を掲げたお堂がある。示されていた由来によれば、この「松野地蔵」は少なくとも400年以上もの間この地で衆生を見守っており、延命子育ての他、雨乞いのお願いも叶えてくださるのだとか。


3番札所 綾金観音(あやがねかんのん)【真言宗長流山金泉寺】

 2番札所から「第3番札所・綾金観音」まで、距離的には3.5kmだが時間としては10分弱といったところか。濁川を渡り、田んぼの中の農道から集落に入ってやや迷いながら行くと、「綾金公民館」に隣接する場所にお堂があった。
 かつては20を超える僧房を持つほど栄えていたらしいが、現在は集落の一角に観音堂と薬師堂がこじんまりと残されているのみだ。境内と呼べるほどのスペースもないが、小さな鉄棒が置かれており、ちょうど公民館の庭として兼用されているようにも見えて、これはこれで慕わしくもある

3番綾金観音s☆DSC06554.jpg3番綾金観音s☆DSC05309.jpg3番綾金観音s☆DSC06542.jpg
3番綾金観音s☆DSC05317.jpg3番綾金観音周景s☆DSC06558.jpg3番綾金観音s☆DSC06548.jpg3番綾金観音s☆DSC06563.jpg

 観音堂に祀られているのは十一面観音。隣のひとまわり小さな薬師堂には「子育薬師」の看板が。薬師堂の前には可愛らしいお地蔵様。お地蔵様越しに覗く秋の景色は童謡の世界を彷彿とさせる。
 御朱印をいただきにご近所の檀家さんのお宅へ。どうやら手書きの案内図はデフォルトらしい。残念ながら御朱印所はお留守だったものの、道すがら目に映る庭木の残り葉や残り柿、家々の古い蔵の景色は、長閑でどこか懐かしい


4番札所 高吉観音(たかよしかんのん)【真言宗吉例山徳勝寺】

 「第4番札所 高吉観音」は、第3番札所から車で5分弱。距離にして1.5kmほどのところにある。すぐ近くには県立高校があり、地図で見ると中心地街の住宅地北端に接しているような立地だ。とはいえ、田畑に囲まれた古くからの集落の佇まいは、新興の住宅地とは一線を画しており、空気感まで一変するように思える。
 境内を囲むように並列する大きな立木と車を駐車できるスペースがあるが、お堂の向きや周辺の住宅地を含めた全体の雰囲気は、第3番の綾金観音とどことなく似ているかもしれない。
 観音堂に祀られているのは、十一面観音。現在の像は、1621(元和7)年に消失した元の像に代えて、村人達が奉納したものだという。詳細については分からなかったが、長い間人々の心の拠り所だったであろうことは想像に難くない。観音堂の横のひとまわり大きな建物には「吉例山」の山号が掲げられている

4番高吉観音s☆DSC06490.jpg4番高吉観音s☆DSC06500.jpg4番高吉観音s☆DSC06497.jpg4番高吉観音御朱印s.jpg
4番高吉観音周景s☆DSC06496.jpg4番高吉観音周景s☆DSC06522.jpg4番高吉観音周景s☆DSC06483.jpg

 御朱印所になっている檀家さんのお宅へ。幸いにもご在宅で無事にいただくことができた。こちらの御朱印は手書きでこそないが、わざわざ道具一式を玄関先まで運んでいただき、目の前でひとつひとつの判を丁寧に押して下さる。有り難い事だ。
 周辺を散策すると、風格のある蔵やどっしりとした巨木に育った庭木が目につく。樹齢にしたらどのくらいなのだろう。お堂の筋向いの庭先では豆の剪定をするおばあさんの姿が。「マメだねー。」とシャレつつ声をかけて通りすがるご近所の方も。


5番札所 熱塩観音(あつしおかんのん)【曹洞宗護法山示現寺】

 喜多方市には熱塩温泉と日中温泉の二つの温泉があるが、「第5番札所・熱塩観音」は、熱塩温泉の一番奥にあたる「示現寺」の境内にある。第4番札所から北上すること約13kmほど、車ではおよそ20分程度になろうか。三十三観音巡りの札所と札所の間の距離としては、番外を除けば一番長い。また、会津三十三観音の最北にある札所でもある。

5番熱塩観音示現寺s☆DSC05942.jpg5番熱塩観音示現寺s☆DSC04829.jpg5番熱塩観音示現寺s☆DSC04830.jpg5番熱塩観音示現寺s☆DSC05951.jpg
5番熱塩観音示現寺s☆DSC05946.jpg5番熱塩観音示現寺s☆DSC05936.jpg5番熱塩観音開山堂s☆DSC05960.jpg5番熱塩観音示現寺s☆DSC05956.jpg

 示現寺は、もとは空海が開いた真言宗の寺だったが、南北朝時代に源翁が曹洞宗寺院として再興し、示現寺と号を改めたという。熱塩温泉を開湯したのも源翁とされる。
 ちなみに、この源翁は、かの妖狐・玉藻の前が化身した殺生石を退治したという源翁和尚その人であり、大工道具のゲンノウは、この時に石を叩き割った槌に由来するのだとか。
 観音堂は本堂に向かって左側、杉木立のなかにひっそりと佇む。建立されたのは江戸時代中期とのことだが、向拝の梁や柱に施された彫刻が見事。祀られている千手観音の胎内には源翁ゆかりの観音小像が納められていると言われる。寺院には国指定重要文化財の椿彫木彩漆笈が伝わるなど、禅宗様が色濃く反映されている。

5番熱塩観音s☆DSC05943.jpg5番熱塩観音s☆DSC04839.jpg5番熱塩観音s☆DSC05988.jpg
5番熱塩観音瓜生岩子座像s☆DSC05970.jpg5番熱塩観音s☆DSC06006.jpg5番熱塩観音s☆DSC06004.jpg5番熱塩観音御朱印s.jpg

 境内にはまた、ちんまりとしたお婆さんの坐像も置かれている。女性として最初の藍綬褒章を受章した喜多方出身の瓜生岩子の像だ。戊辰戦争では傷ついた兵達を敵味方なく看護し、戦後は貧しい会津藩士の子弟達の教育や救済の為に私財を投じて慈善事業に尽力したという。
 御朱印は、お寺がお留守だったので、不在の場合の指示に従ってお寺の参道の横にある「叶屋商店」さんへ。店構えも内部もレトロで、つげ義春の漫画から出てきたような懐かしい雰囲気満載だ。御朱印はあらかじめ別紙で用意されており、参詣の日付のみお店のご主人が筆で記入してくださる。

5番熱塩観音傍売店s☆DSC06020.jpg5番熱塩観音傍足湯s☆DSC04844.jpg5番熱塩観音傍共同浴場s☆DSC06014.jpg5番熱塩観音周景s☆DSC06011.jpg

 示現寺の周辺は温泉街はいい感じに鄙びた風情をかもす。叶屋商店さんの向かい側にある「示現寺足湯」は冬季間以外は自由に利用することできるが、湯温はかなり熱めだ。熱塩温泉の名の由来は「熱くてしょっぱいお湯」だというので文字通りではある。よく温まることから別名を「子宝の湯」とも呼ばれているとか。
 足湯から少し下ったところに小さな共同浴場がある。一応入り口は男湯と女湯に分かれているが、中の仕切りは低く半混浴?という感じの面白いつくり。利用するには、先ほど御朱印をいただいた叶屋商店さんで入浴料(200円)を納入して入るシステムになっている。


6番札所 勝観音(すぐれかんのん)【真言宗松島山勝福寺】

 「第6番札所 勝観音」は、第5番札所から約11kmちょっと、車で約15分ほど。国道121号線を南下し県道337号線のところで東に折れれば、その道なりの大きな木の根元に、仁王門と「勝福寺観音堂」の石碑が見えてくる。
 茅葺の屋根が存在感を示す観音堂は、1558(永禄元)年に再建されたもの。室町時代後期における御堂建築の貴重な遺構として国の重要文化材に指定されている。
 観音堂には本尊の十一面観音像、脇侍の不動明王立像・毘沙門天立像が安置されており、鐘楼も構えた境内には静謐な空気が漂う。鐘楼の手前にあった手水鉢には「洗心」の文字。おりしも境内のイチョウがハラハラと一面黄金彩の絨毯の様に。
 御朱印所への案内は、ここでは手書きではなくちゃんとしたつくりの案内板だったが、残念ながら檀家さん宅はご不在だった

6番勝観音s☆DSC06082.jpg6番勝観音s☆DSC06107.jpg6番勝観音s☆DSC06096.jpg6番勝観音s☆DSC04874.jpg
6番勝観音s☆DSC04890.jpg6番勝観音s☆DSC06087.jpg6番勝観音周景s☆DSC06117.jpg

 ところで、元の観音堂の発祥の詳細は明らかではないが、伝承によれば平安時代に遡る。「勝御前」と呼ばれる京の身分の高い女性が、景勝地として知られた松島へ向かう途中でこの地で重篤となり、村人たちの慰めもむなしく亡くなった。
 父君の中将はこれを悼み、この地に訪れて冥福と菩提を弔う為に観音堂を造営したのがはじまりとされる。また、村村人たちが病床の勝御前を慰めるために松島を模して造った庭園が、松島山という山号の由来となったとも言われる。
 その後長くこの地を統治した芦名氏から庇護されてきたが、1529(享禄2)年に火災により消失したため、第17代当主芦名盛興が観音堂を再建したのだとか。
 仁王門と県道を挟んだ真向かいには木々に守られる等に佇む小さな墓石と祠があり、これが「勝御前の墓」と伝えられている。秋の陽に照らされる姿は心なしか物悲しくも見える


7番札所 熊倉観音(くまぐらかんのん)【浄土宗紫雲山光明寺】

 第6番札所から県道337号線を3kmほど東に進むと、県道69号線と交差する。このあたりは米沢街道の熊倉宿があった場所で、本陣、問屋、代官所なども置かれ大いに栄えていたという。また、戊辰戦争の際、敗走が続く中で唯一西軍を撤退させたのがこの地であったとか。
 当時の建物の多くは失われ、歴史の面影は色濃いとは言えないが、今でも県道69号線の両側に沿うように家々が並び、かつての街並みの名残をかすかに感じる。「第7番札所 熊倉観音」が置かれている「光明寺」もその家並みの中にあり、昔日の風情を垣間見ることができる。
 参道の入り口は間口がとても狭いが、対になったお地蔵様が迎えてくださる。奉納された前掛けが前からも後ろからも何樹にも重ねて巻かれており、もちろんそれだけ愛されていることの現れだろうが、なにやらパンキッシュないでたちにも見えてなかなかに「イカしている」

7番熊倉観音s☆DSC06167.jpg7番熊倉観音光明寺s☆DSC06127.jpg7番熊倉観音光明寺s☆DSC04893.jpg7番熊倉観音光明寺s☆DSC06124.jpg
7番熊倉観音s☆DSC04898.jpg7番熊倉観音光明寺昔瓦s☆DSC04899.jpg7番熊倉観音御朱印s.jpg7番熊倉観音光明寺s☆DSC04896.jpg

 細い参道の突き当たりには本堂、その左に観音堂がある。そしてここの境内にも金色のイチョウの落葉がびっしりと敷き詰められていた。境内の片隅にはまた、人の身長ほどもある大きな鬼瓦が置かれており、これは何だろうとちょっと気になる。
 光明寺は室町時代後期にに開基されたが、その約70年後に戦国時代の兵火に遭っている。ほとんど全ての堂宇や寺宝が焼したが、本尊の千手観音像だけは奇跡的に焼失を免れたという。
 この千手観音が現在熊倉観音として祀られている観音様だ。観音堂は江戸後期に再建されて今に至る。また、この像は行基の作とも慈覚の作とも伝えられている。
 本堂脇の別当宅が御朱印所になっており、無事にいただくことができた。その際に、先ほど気になった大きな鬼瓦についてお聞きしてみたが、なんと、かつて焼失した本堂の一部だという。どれほど大きな寺院だったのかと思う


8番札所 竹屋観音(たけやかんのん)【曹洞宗大雲山観音寺】

 「第8番札所 竹屋観音」が置かれている「観音寺」までは第7番札所から車で10分足らず。5km強といったところか。無料ナビの案内通りに行くと、県道69号線を南下し、途中で別れ道に入る。着いたのは観音寺の裏手。ここにも小さな観音像が置かれており、観音様の後ろには秋枯れの田園風景と紅葉の磐梯山が広がる

8番竹屋観音周景s☆DSC06169.jpg8番竹屋観音周景s☆DSC06225.jpg8番竹屋観音s☆DSC06175.jpg

 本堂の左手に観音堂へ続く階段がある。寺の開山は室町から安土桃山に時代が変わる頃と伝わるが、現在の観音堂は江戸時代の6〜7代将軍の頃に再建されたものらしい。階段の途中にある仁王門の仁王像からは時の風雪が感じられ、江戸時代よりも古いもののように見えるが詳細は不明だ。
 鎮守の森に囲まれた観音堂には、やや紅くなってきた秋の陽が差し込む。この御堂の御本尊は、開山当時より伝えられている如意輪観音。6本の腕を持ち輪王坐とよばれるやや寝転んだ坐姿で、鎌倉時代の仏師・運慶の作であるとも言われている。会津三十三観音で中で如意輪観音を祀るのは、唯一この竹屋観音だけだとか

8番竹屋観音s☆DSC06206.jpg8番竹屋観音s☆DSC04916.jpg8番竹屋観音s☆DSC06194.jpg8番竹屋観音s☆DSC04918.jpg
8番竹屋観音前の子育て水子地蔵s☆DSC06201.jpg8番竹屋観音観音寺sDSC04920.jpg8番竹屋観音御朱印s.jpg8番竹屋観音観音寺s☆DSC06220.jpg

 また、竹屋観音は別名を「子安観音」といい、妊婦がこの観音に祈願すれば難産なしということで、安産祈願に訪れる人も多いという。観音堂の手前には「子育て水子地蔵」の祠があり、赤子の姿が抽象的で印象に残る。
 本堂に戻って御朱印をいただく。本堂は出入り自由となっており、自分で印を押す形式となっている。お布施を納めてから願いを込めて見本の通りに印を押す。どのようなスタイルであれ、御朱印の本来の意味を忘れてはいけない。その横にはお盆に入ったおみくじがあり、ご託宣を得る


9番札所 遠田観音(とおたかんのん)【曹洞宗福聚山大光寺】

いよいよ今回巡礼のフィナーレとなる「第9番札所 遠田観音」に向かう。観音堂は、第8番札所から5〜6q、車で約12分ほど西にある「大光寺」の境内にある。
ここでも出迎えてくれるのは立派なイチョウの大木。そのイチョウの下に竹屋観音の御堂がある。堂の周りが黄金彩の葉絨毯で敷きつめられて
まさに浄土たる景色。御本尊は千手観世音、平安初期には壮麗な観音堂を有し栄華を極めたとの
伝えも残る

9番遠田観音s☆DSC05301.jpg9番遠田観音s☆DSC06448.jpg9番遠田観音周景s☆DSC06456.jpg

 突然、辺りに響く轟音に驚くと、ご住職と思われる野良姿の御方がおおきなトラクターのセルを回したところ。「静かな処ですねえ。」とお話掛けると「あんまり静かなんで、こうやって音出してるのさ!」とお見事な返し。もともとは真言の寺として三重塔、178の御堂に三十六坊院
が連なるほどだったが時の流れに寺領も失い堂宇も頽破していたが、越後より安翁という層が来訪し曹洞宗に改め示現寺の末寺として再建した暦をもつ

9番遠田観音大光寺s☆DSC06473.jpg9番遠田観音s☆DSC06450.jpg9番遠田観音周景s☆DSC06461.jpg9番遠田観音s☆DSC06480.jpg
9番遠田観音s☆DSC06482.jpg9番遠田観音御朱印s.jpg9番遠田観音s☆DSC05303.jpg

 参観音堂にあった木造千手観音像は運慶の作と伝えられ、他にも古仏も多くあったが数度の火災にてすべて焼かれ現在は新像が祀られている。
 境内には大イチョウの他に大変姿も珍しい松も在る。まるで龍神のような姿に大光寺のもつ歴史の深さが想われるようだ。ご住職本人に御朱印を書いていただきまだいたい気持ちを抑えながら寺を後にした


月のあかり【会津東山温泉「庄助の宿 瀧の湯」別館】
あえて「もてなしすぎない」という「おもてなし」に寛ぐ

 今回の巡礼の旅でのもうひとつ愉しみにしていたのが、会津東山温泉の宿「月のあかり」である。同じ東山温泉「瀧の湯」のグループ旅館で、2018年にリニューアルオープンしたばかり!
東山温泉に入り、瀧の湯も過ぎほぼ旅館街を終えた静かな山間に月のあかりがある。宿の前の駐車場に車を停め、そのまますぐにチェックイン。
 月のあかりの最大の特徴は、人によっては煩わしい旅館的なおもてなしを、あえて控えた「ノン・サービス」スタイルで温泉宿を運営していること。その代わりに訪れる旅人を癒すしつらいはしっかりしており、ロビーラウンジはモダンなイメージでシティホテルにひけをとらない。ワンランク上のホテルに寛ぐ雰囲気である。
客室は「ワンランク上の和室」「スタンダードな和室」「リーズナブルな和室」「リーズナブルな洋室」の大きく4種類。宿泊料金は驚くなかれ3,500円(食事なしの場合)〜20,000円(朝夕食事つき)まで、お部屋のランク&お料理をチョイスしながら自由にバリェーションが選べる。
*詳しくは「月のあかり」HPへ→ http://tsuki-no-akari.jp/ 予約に際しては会員登録(登録料・利用料・年会費すべて無料)を行うことをオススメ

宿玄関夜s☆DSC06262.jpg宿ロビーエントランスs☆DSC05102.jpg
宿橋から紅葉s☆DSC06363.jpg宿客室as☆DSC05167.jpg宿客室as ☆DSC05145 明.jpg

 ラウンジは奥にライブラリーもあり、ゆっくりと旅の疲れをいやすことが出来る。客室のしつらいもゆとりある間取りと清潔感ある趣に値段以上の格を誰しもが感じるだろう。窓下には清流湯川が瀬音を奏でる。
 夕食時間にラウンジに降りると、各お部屋毎におかもちがワゴンに用意され、聞けば「ラウンジでこのまま召し上がってもいいですし、お部屋にお持ちいただきゆっくり寛いでいただいてもよろしいです。お食事が終わったら、お部屋の外にワゴンごと出しておいてください。係のもの
が片付けます。」との事。初めての経験だったのでびっくり!今回はラウンジでいただくコトに。
 予約したのは「ご馳走・すきやきと松花堂弁当膳」(3,500円税抜)のセット。会津の郷土料理風でボリュームある松花堂と味噌汁・サラダ・フルーツに、すきやきが付く。すきやきはその場で七輪で火をつける、勿論卵つき。見た目、味ともに十分満足の行く夕食に、この宿のオトク感が伝わる。食後はラウンジのフリードリンクコーナーでホットな珈琲をチョイス。腹ごなしにしばしライブラリーで寛ぐ

宿ラウンジライブラリー夕s☆DSC05118.jpg宿ラウンジイメージs☆DSC06252.jpg宿ロビー夜s☆DSC05014.jpg
宿ランドリーs☆DSC05266.jpg宿浴場イメージs☆DSC06334.jpg宿料理夕食膳s☆DSC05037.jpg宿料理朝食膳s☆DSC05100.jpg

 お風呂は、シンプルながら落ち着いた雰囲気の外気を感じるスタイルの内湯。東山の歴史ある泉質はそのままに、ゆっくりと今日の巡礼の旅を頭の中でリプレイしながら湯に体を沈める。
嬉しいことに、月のあかりの宿泊者は、本家ともいえる瀧の湯のお風呂も自由に使える(無料)。
外が心地よい季節には、東山の温泉街を歩いて景色を眺めながら瀧の湯に行くのもよいだろう。
勿論瀧の湯自慢の貸切露天風呂の予約も可能(こちらは有料となる)である。
 翌朝、朝食にラウンジに降りると係の人がおり、席に案内される。こじんまりとした松花堂にご飯・味噌汁をよそってもらう。係の人に、会津三十三観音や今日行く長床のハナシなど聞きながらゆっくりと温泉宿の朝を堪能した。
 月のあかりは、わずらわしいサービスやごてっとしたしつらいを嫌う向きには大変うれしく、観光のみならず、ビジネスホテルに泊まるよりもよほどリーズナブルだと感じる。実際この日もオープン間もないにもかかわらず、ビジネスマンらしき宿泊客を何人も見かけた。滞在利用も多いのか、コインランドリーなど館内にあるのも面白い。この宿の使い方は無限だ


会津大仏【叶山 三寶院 願成寺/木造阿弥陀如来及両脇侍坐像】

 昨日、喜多方を周った折に「会津大仏」という看板をよく目にした。ならば行こうとなってすこし寄り道をする。昨日周った熱塩の観音堂にほどちかい、ややこしい道なのでナビを使う事をオススメしたい。通り沿いに駐車場があり、そこから叶山三寶院願成寺山門がすぐに見える。
寛永三年(1227)に法然上人の高弟隆寛律師による開山。現在の堂宇は会津初代藩主保科正之から三代続いて大施主となり、建築としても仏像もまた見事な群をもつ

会津大仏願成寺山門s☆DSC06023.jpg会津大仏願成寺本堂s☆DSC06024.jpg会津大仏願成寺庭園s☆DSC06053.jpg会津大仏願成寺本堂s☆DSC06028.jpg
会津大仏願成寺庭園と大仏堂s☆DSC04865.jpg会津大仏s☆DSC06046.jpg会津大仏願成寺庭園と大仏堂s☆DSC06061.jpg

 往時は紫陽花の善導寺、洛西の光明寺、会津の願成寺など浄土一流の本山と並び称され、東北浄土宗の一大道場であった。会津大仏は阿弥陀三尊像で、中尊の阿弥陀如来像は2.41mの堂々とした坐像。脇侍には向かって右が観音菩薩像で1.28m、左の製至菩薩は1.3mにもおよぶ。このならびは東北ではめずらしいらしく、京都三千院の来迎三尊像と同じだという。一堂に観れば、なるほど迫力も満点。いずれも寄木造りにて、とても鎌倉時代に造られたとは思えぬ御姿に深く手をあわせる。
 境内は丁度紅葉の時季。真紅のモミジが庭園の池に映え美しい様相。寄り道というにはありがたい体験となった。ちなみに境内は開門中自由に行き来でき、会津大仏も無料で参拝できる


長床【新宮熊野神社】

 巡礼初回最後のメインは「新宮熊野神社 長床」。昨日訪れた1番札所大木観音堂のほど近くにある。「新宮」と称するのは本宮・新宮・那智の熊野三山を祀り、国の重要文化財に指定されているが、ここにある「長床」となる。
 すでに、午前中から駐車場に入る車が列をなす。実は長床傍にある大イチョウ(高さ30m)が紅葉時季を迎えると、その美しい景色を求め観光客が殺到する一大人気スポットとなる。逆に他の季節はおとなしいので、春から夏もオススメではある。(過去の取材を参照

長床s☆DSC05384.jpg長床s☆DSC05364.jpg

 ほどなく駐車場を確保することができ、参拝料を支払い、御朱印帳を預け参道を行く。遠くから観ると「ホントにこれが30??」というぐらいに圧倒的な大きさを感じる。手前の杉並木とのコントラストがとても美しい。近付くにつれ、黄金色に輝く大イチョウのスケールに圧倒される。そのイチョウの向こうにあるのが長床である。
 この長床はミステリーづくしで、カタチとしては寄棟造り・茅葺・正面9間(27m)・側面4間(12m)となるが、その建立年代は不明。一応形式・技法から平安末期から鎌倉初期の頃に建てられたようだが、実はこの建物の用途は、これもまた未だ不明である。今は直径約50pの円柱が44本、10尺(3.3m)の間隔で、壁は一切ない。世界広しといえどもこのような建築形式はなく、完全なる和風建築である

長床参道s☆DSC06633.jpg長床s☆DSC06676.jpg長床s☆DSC06636.jpg長床s☆DSC06649.jpg
長床熊野神社s☆DSC05370.jpg長床s☆DSC06704.jpg長床熊野神社御朱印s.jpg

 実際に入ってみると、伝わってくる神々しさと、そのスケール感に身震いすらする。果たして平安時代かその頃にこんな社を建てた先人たちの技術に驚かざるをえない。ここに立つ柱はその先人たちの生業を観てきたろうに、今は口を閉ざし不思議がる現代人をあざ笑っているかの様だ。
 長床を過ぎ、階段を上ったところに、先にふれた三社を祀る「新宮熊野神社」がある。長床とは逆にひっそりとした佇まいに思わず手を合わせた


すがい食堂 太田店

 昨喜多方のシメは「喜多方ラーメン」だろう。以前訪れた時に馬車駅の売店のおばさんに習った「通は、半拉麺で何軒かを周る」というハナシを思い出し、半拉麺のあるお店をチョイス。やや郊外にある「スガイ食堂」ののれんをくぐる

★すがい食堂s☆DSC06717.jpg★すがい食堂醤油と塩の半拉麺s☆DSC05417.jpg★すがい食堂s☆DSC05400.jpg

 なんと、ここの半拉麺の味のバリエーションが塩と醤油の2種ある。せっかくだから2種の食べ比べをしようと試みた。半拉麺とはいえ、やや少ない程度の量で、腹ペコでなかったら危ない。醤油は、喜多方伝統の趣を感じさせながら、ややあっさりのスープにほどよく腰のある麺も裏切らない味だ。さて塩はどうか?というと、これもまた奥深い香りとコクが上手に麺にからみあう。個人的には塩かもしれないが、これも会津・喜多方ラーメンを数多く食したゆえにやや感覚が慢性化しているからだろう、とラーメン通の方々には叱られそうだ


今回の巡礼の旅、まだ三十三観音のうち九つまでの巡り路だったが、不思議なことに、周ってゆくうちに「何故周っているのか?」という内なる声がアタマにこだまし始めた。よく四国八十八ヶ所をめぐってゆくうちに心が浄化されてゆくのがわかる、というが、なにか自分の知りえない事が今回の旅で始まったのか?と新しい自分に期待をする。今回のレポは風景やしつらいの他に、会津三十三観音を巡っての心のかわりようなども伝えてゆきたいと思う。

次回は10番札所から順に始めたい。乞うご期待あれ。


【秋の喜多方巡りMAP】
会津三十三観音ガイドマップ_喜多方02.jpg
posted by aizuaruku at 12:43 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする