2017年06月14日

4月 花降る里、会津美里の桜逍遥


一本桜の風格が語る
仏都の歴史と暮らしの祈り。

2017年4月某日

 会津若松市内の開花に遅れること約1週間、会津美里町の桜だよりは例年4月下旬から5月上旬頃にかけて。隣り合うエリア繰り広げられる花のリレーを、追いかけながら愉しむ旅も春だけの風流だ。以前、2回に渡りご紹介した会津若松市内に続き(詳細はこちらのブログ1を参照)(詳細はこちらのブログ2を参照)、今回は“仏都会津”の源流と言われる歴史エリア、会津美里の高田に春真っ盛りの佇まいを訪ねてみた。

会津美里桜と古刹マップ.jpg

01古御田の桜s.jpg05宮川千本桜s.jpg12伊佐須美神社外苑s.jpg
23高天原の神代桜s.jpg15伊佐須美神社s.jpg19伊佐須美神社薄墨桜s.jpg
20伊佐須美神社薄墨桜s.jpg26文殊院の知恵桜s.jpg24文殊院遠景s.jpg
29馬の墓種蒔桜s.jpg41向羽黒山城跡s.jpg39向羽黒山城跡s.jpg

◎伊佐須美神社周辺エリア

<古御田の桜>
1592(文禄元)年、豊臣秀吉が伊佐須美神社へ寄進した御正作田(みしょうさくでん)跡地で、現在、県立大沼高校の敷地となっているサブグランド内に佇むエドヒガンザクラ。主幹の一部が朽ちているものの、堂々たる形で咲き誇る姿は神木の風格。桜に一番近いフェンスに設けられた入口からは、グラウンド内に入ることも可能。

<宮川の千本桜>
伊佐須美神社東側を流れる宮川の宮瀬橋から中川橋にかかる両岸に植えられた約500本のソメイヨシノは、春には豪華絢爛な桜のアーケードとなる。河川敷は公園として整備され、春の花見をはじめ四季を通じ多くの人々で賑わう。露店や屋台が並ばない静かな雰囲気のなか、残雪の磐梯山を背景に広がる桜並木は撮影スポットとしても人気。

<伊佐須美神社外苑あやめ苑>
以前、訪れた伊佐須美神社(詳細はこちらのブログを参照)の大鳥居の前にある花苑。150種、10万株ものあやめが咲き誇る東北最大級のあやめ苑として知られる。広い回遊式庭園内には多くの桜や花木が植樹され、季節折々に色とりどりの花々と水の景色が楽しめる。苑内は常時解放され、ゆっくりと散策しながら花見を楽しむ人々が憩う。

<伊佐須美神社の薄墨桜>
伊佐須美神社のご神木で、会津五桜のひとつ。花は一枝に一重と八重が交りあい、その名のとおり白く淡墨を含んだような色で、早咲きと遅咲きがある。ソメイヨシノより開花が遅く、花が終わりに近づくと中心に濃い紅色を帯びてくる植物学上からも貴重な銘木とされる(訪れたときは五分咲き)。満開時の香りの高さでも愛され“香りの薄墨桜”と呼ばれる。毎年4月29日は「花祝祭」が催され、花を餅に混ぜて食べる伝統行事が行われる。

<高天原の神代桜>
伊佐須美神社の参道入口付近、高田地域の盆踊りが行なわれる高天原(たかまがはら)の一角にひっそりと立つ推定樹齢300年のエドヒガンザクラ。人々の賑わいをこの地で見守ってきた桜は、枝幹の一部が枯れ裂け樹勢の衰えが見えるものの、保全治療により例年、紅色の鮮やかな花を付ける。

<文殊院の知恵桜>
神代桜のすぐ近く、清龍寺文殊院の境内にあるエドヒガンザクラ。別名“知恵桜”。迫力ある樹高に、びっしりと濃紅色の花をつける姿は見事。文殊堂はもと伊佐須美神社の奥の院で、子に恵まれなかった天海大僧正の両親が参籠し、子宝祈願をした御堂。日本三大文殊の一つで“筆の文殊”として、学問成就や技芸上達を願う人々に信仰されている。

<馬ノ墓の種蒔桜>
馬ノ墓集落に堂々と構える樹齢約300年のベニヒガンザクラ。周囲は視界が開けた果樹園や畑地のため遠くからでもよく目立ち、その姿は威厳と優美さに充ちている。残雪の山並みを遠くに緑のコントラストに映える濃紅の花は、故郷の春の原風景そのまま。

◎会津本郷エリア

<向羽黒山城跡の桜>
向羽黒山城は中世会津の領主、蘆名盛氏(あしなもりうじ)が居城として築いた東北最大級の山城。現在は白鳳山公園として散策路や駐車場、フィールドアスレチック広場などが整備され春は桜の名所として賑わう。山中にはかつて羽黒権現が祭祀され、大川(阿賀川)を挟み東山温泉裏手の羽黒山の向かい側に位置することから向羽黒山と呼ばれるようになったと言われる。

32左下り観音堂s.jpg34左下り観音堂s.jpg
35左下り観音堂s.jpg36左下り観音堂s.jpg37左下り観音堂s.jpg38丸山界隈s.jpg

忽然と現れる山中の威風。
必見スポットの、左行り観音。

 ところで、会津美里に来たら、ぜひ訪れたいのが「馬ノ墓種蒔桜」から車で約15分程の場所にある「左下り(さくだり)観音」だ。駐車場から徒歩で少し登った山の中腹に現れる建物は、京都の清水寺と同じ“懸造り(かけづくり)”と呼ばれる、断崖に張り出した見事な三層閣。創建は鎌倉時代の初期。古くは修験者の行堂だったらしく、装飾を一切排除した骨太な佇まいが目を引く。堂内には、観音の石首伝説が伝わる“無頸(くびなし)観音”が安置され、会津三十三観音巡りの二十一番札所となっている。
 入口は建物を回り込んだ坂道の先、最上階の三階からのようだ。断崖に突き出した高さ約14mの廻り縁のある舞台からは眼下に会津盆地が一望(!)できる。とはいえ、手すりやロープが一切無い開放感は、なかなかスリリングだ(笑)。堂内奥には、崖に面した首の無い地蔵が安置された岩穴も見える。
 景色を楽しんだ後、急勾配の階段で降りた二階の床板は、いたる所が隙間だらけ。ギシギシと今にも踏み抜きそうな音を立てる足元に思わず顔も強張る(笑)。一階内側から見る自然の岩を巧みに組み込んだ造りは、匠の技を感じる興味深い遺構だった。

46瀧の湯s.jpg44瀧の湯s.jpg45瀧の湯s.jpg
47瀧の湯庄助の湯s.jpg49瀧の湯s.jpg50瀧の湯s.jpg52瀧の湯s.jpg53瀧の湯幻の湯ひといりs.jpg

湯とせせらぎの桟敷席で、
花舞台を愛でる春一夜。

 訪れた宿の能舞台を彩る山桜もちょうど満開状態。案内された部屋でまずはのんびりと花見の一服。日の翳りとともにうっすらと色を増す花は、昼とはまた違う優美さだ。やわらかな緑が縁取る春の絵画に「いい時にきたなぁ」と、連れと共感。
 食事前には貸切眺望風呂「十六夜の湯」に繰り出し、満々と湯を湛える湯船から水際で揺れる花姿を、今度は下から仰いでみる。春はまさに桜役者の独り舞台(笑)。傍らで朗々と響く雪解け水の瀬音は、一期一会の舞台を寿ぐリズミカルな長唄のようだった。
 今夜の夕膳の一杯は、宿オリジナルの冷えた白ワインと。食休みの後で再び向かった開放感あふれる貸切露天風呂「幻の湯」で、ライトアップされた夜桜をふたり占めで眺めながらの談笑。旅は人をゆるやかにする。たまには、風呂でのこんな夫婦だんらんもいい(笑)。

59龍興寺s.jpg60龍興寺s.jpg61龍興寺天海上人墓s.jpg63龍興寺s.jpg
64龍興寺s.jpg65龍興寺s.jpg66法用寺s.jpg67法用寺s.jpg
69法用寺s.jpg77法用寺s.jpg78法用寺三重塔s.jpg68法用寺虎の尾桜未花s.jpg

天海上人の生誕地で出会う、
名古刹と栄華の残光。

 ちなみに、会津美里は家康をはじめとする徳川三代に仕え、絶大な権力を誇った傑僧、天海大僧正生誕の地であることをご存知だろうか。その天海大僧正が出家した名刹である「龍興(りゅうこう)寺」境内には、僧正の両親のものとされる墓が残されている。ちなみに寺は意外にも、会津三十三観音では番外札所だ。
 余談だが、そもそも三十三観音とは観世音菩薩が衆生を救うため、相手に応じ33の姿に変身する法華経の“普門示現(ふもんじげん)”に由来するもので、今なお日本各地にその信仰がある。会津におけるこの観音巡りの発案者は藩祖の保科正之公で、田畑の仕事が一段落する7月頃に、主に農村部の女性を中心に巡礼が盛んに行われたという。その流れだろうか、大僧正ゆかりの木造観音像を祀った「浮身観音堂」には、番外札所ながら婦人連が奉祀した新しい納め札も見て取れた。
 寺には県内に3つしかない国宝のひとつ、平安後期の「一字蓮台法華経」もあり、事前予約で拝観できるようだ(写真は堂内の展示資料)。本堂には大僧正の壮年期を模した木造坐像も安置され、開いていれば自由に見学できる。また境内にある蓮池は、約2千年前の遺構から出土した古代蓮の“大賀蓮”や、岩手県中尊寺から株分けした“中尊寺古蓮”などの蓮が咲くことでも知られる。天海大僧正の父母の墓は、「浮身観音堂」の裏手の一角にあった。少々見つけにくいが、訪れるなら、ぜひ参拝されてはいかがだろうか。
 続いて訪ねた「法用寺」は、長閑な田園が広がる雀林と呼ばれる集落の山裾にある。寺の開基は会津で二番目に古い720(養老4)年。奈良の長谷寺を開山した徳道上人による。かつて33もの坊が立ち並ぶ大伽藍を誇ったという寺も、今は仁王門、鐘楼、観音堂、そして会津で唯一の「三重塔」を残すのみ。とはいえ、それらは“仏都会津”のかつての隆盛を伝える希少な遺構だ。境内には山門付近のソメイヨシノをはじめ、会津五桜のひとつ「虎の尾桜」(訪れた時期はまだ蕾状態)もあり、春の陽射しを謳歌していた。
 近世の観音堂では県内最大だという「雀林観音堂」内には、国の重要文化財であるケヤキの一本造りの木造金剛力士像や会津最古の逗子も安置され、こちらも事前予約によって拝観できる。寺にはこの他にも、子安地蔵堂や伊佐須見神社の境外末社である意加美神社の姿も見え、長い歴史を誇る祈りの場らしい静謐な景色が広がっていた。

◎根岸エリア

<法用寺の虎の尾桜>
808(大同3)年、徳一大師によって法用寺の境内に植えられたと伝わる桜。名前の由来は東側に低く張り出た幹を虎が横たわる姿に例えた説と、八重咲きの花の中からおしべが細かく立つ特殊な形を虎の尾に見立てた説がある。807(大同2)年、寺は一度、大火で全焼したものの、この桜の下でううたた寝をしていた徳一大師の夢に弁財天が現れたことで、大師がこの地に寺を再興したと伝わる。例年、見頃はゴールデンウィークあたり。

82弘安寺s.jpg81弘安寺s.jpg87弘安寺s.jpg87弘安寺御朱印s.jpg
87弘安寺十一面観音レプリカs.jpg93ハッタンドウs.jpg94ハッタンドウs.jpg95米沢の千歳桜s.jpg

娘を悼む父母の思慕。
心打つ情愛の、中田観音。

 「法用寺」の程近くには、“中田の観音さま”の名で地元から親しまれる「弘安寺」もある。会津藩主代々の祈願所でもあった寺は、細菌学者の野口英世の母シカが深く信仰していたことでも知られ、英世が帰国した際、母や恩師と撮影した写真も残されている。
 桜は見頃だったものの、あいにく観音堂は現在、改修工事中(工事予定は平成30年2月28日まで)。寺の本尊である十一面観世音菩薩は1274(文永11)年、土地の長者であった江川常俊が鋳造したもので、ニ体の脇侍(地蔵菩薩、不動明王)とともに全国的にも珍しい鎌倉時代の金剛仏として国の重要文化財に指定されている。工事期間中はこれらの像は拝観できないが、境内には参拝者のために菩薩像の縮小レプリカが設置されていた。
 ところでこの菩薩像には「虎の尾桜」の下で出会った若殿に一目惚れし、思いを告げられずこの世を去った長者の一人娘、常姫の悲しい純愛伝説がある。十一面観世音菩薩像は、愛娘の菩提を弔うため両親が姫に似せて鋳造したものだという。
 創建から740年余り。“会津コロリ三観音”のひとつでもある寺は、会津三十三観音第三十番札所として縁結びや安産など、女性にまつわるご利益でも信仰を集めている。
 そこからこの旅で最後の桜詣でとなった「米沢の千歳桜」までは車でわずか数分。長閑な農地の真ん中に、うごめく巨大なモンスター(笑)のようにどっしりと佇む桜は、いかにも長老らしい黒い木肌と濃紅色の花が、独特の存在感を放っていた。

◎根岸エリア

<米沢の千歳桜>
樹齢約700年以上と言われるベニヒガンザクラの巨木。会津の桜では唯一の県指定文化財。名前の由来は1273(文永10)年、この地の地頭の富塚盛勝が、江川長者の娘の常姫(幼名・千歳 ちとせ)の死を悼み、供養のために植えたものと伝わる。遠目からでも分かるその迫力は老いてなお、春には華麗な濃紅色の花を咲かせる。開花期間中は、傍らに仮設の休憩所も開設され、日没から夜9時までライトアップも行われる。

 参拝後、付近のランチどころを探して向かった「Cafe & marche Hattando」(はったんどう)は、特産の高田梅やエゴマをはじめ、新鮮な地元食材を使用した料理が味わえる一軒家カフェ。建物は新鶴ワインの産地らしい一面のぶどう畑を見渡す高台にある。隣接する農林高校の新鮮な卵を使った人気のランチセット「農高たまごのオムライス」と「まるごとトマトのパスタ」(共にドリンク・サラダ付980円)は、窓から眺める長閑な春の景色のように、素材へのこだわりと愛情を感じるやさしい美味だった。
 連日の天気にも恵まれた会津美里の桜逍遥。一説によれば、“サクラ”の名は“田の神(サ)が座す(クラ)花”の意味を有し、咲き始めから終わりまで、その姿は作物の収穫を占う信仰の対象だったという。群れを成すソメイヨシノの絢爛な姿と対象的に、広い田畑に孤高に佇む会津美里の一本桜は、ある意味、“仏都会津”の祈りの源流だ。この歴史の里で毎年花開くのは、自然の営みと共にあった暮らしの祈り。そんな美しい記憶かもしれない。






posted by aizuaruku at 15:16 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする